一人の女性の学校設立の努力がアフリカで実を結ぶ(2017年春号)

 アフリカ大陸のモザンビークとマラウィには、親の病気や貧困といった家庭の事情で教育を受けられない子どもたちのための小さな学校がある。その学校を建てたのは、日本から来た一人の女性、栗山さやかさん。アフリカで活動を始めて10年になる。

モザンビークに設立された一つ目の学校には300人の生徒が通っている。

初めて鉛筆とノートを支給され、大喜びする子どもたち。

 20代前半の頃の栗山さんは、日本のファッションの発信地である東京・渋谷の若者向け人気洋服店で働いていた。「当時は夜通し遊び、将来のことなど何も考えていなかった」と話す。しかし25歳の時、14年来の親友を乳がんで失う。その死をきっかけに「自分が生きていることの意味」を考え、人のために何ができるかを模索し始めた。

 インドやアフリカの病院でボランティア活動を行った栗山さんは、病気の人たちを励ましながら「海外で支援活動をしていきたい」という思いを強めていく。その後、貧困や病気に苦しむ人が多いモザンビークの町を訪れ、2009年に慈善団体「アシャンテママ」をたち上げた。最初は、貧困家庭の女性に医療知識を教える学校を始めた。女性たちを教えるうち、医療知識を教えること以上に、幼児期から読み書きを覚える機会を与えることが重要だということに気づき、子どもたちのための教室を開設した。「学校は二つの目的を持つようになった。一つは、病気になっても病院に行くという習慣がない人たちに病気の原因や対策を教えること。もう一つは、戸籍がないなどの理由で通常の学校へ通えない子供たちに基礎的な教育を行うこと」

アシャンテママで働いている女性は、病気や貧困に悩んでいた最初の生徒たち。現在は約30人の現地スタッフが働いている。

学校のそばに畑や養豚場を作り、学校の給食の素材として活用している。

 たった一人で、言葉もままならない外国で学校を運営するにはかなりの困難があった。現地の人々に話を聞き、貧困家庭を一軒ずつ訪問し、病気で苦しむ女性や教育を受けられない子供を学校に誘った。当初は女性向けに開校したアシャンテママの学校も、今では子どもたちが学ぶ貴重な場所となると同時に、女性たちの働く場にもなっている。その後モザンビークに2校、マラウィに1校が開設され、学ぶ子どもたちは510人にまで増えた。

 こうした活動は、インターネットや栗山さんの著書を通じて日本に紹介された。アフリカの女性や子供たちを思う真摯な行動が多くの支持を得、日本の企業や個人からの寄付金で活動資金のほとんどを賄えるようになった。「試行錯誤しながらの8年間だったが、病院へ行くこと、薬を飲むことの意識が高まって、病気で命を落とす人たちの数が減った」

 この学校で読み書きを覚えた子どもの中には、その後、公立学校に通い、クラスでトップクラスの成績を収めている子どもたちもいる。「今後も、貧しく生まれて貧しいまま短い生涯を終えていく子供たちを少しでも減らしたい」。栗山さんの挑戦はこれからも続く。

栗山さやか

日本の短期大学を卒業後、東京の若者向け人気洋服店勤務を経て、25歳で世界60カ国の旅に出る。エチオピアでボランティアを行ったあと、アフリカで貧困家庭の女性や子どもを支援する団体「アシャンテママ」を設立。日本人として初めて、医師の代わりに診察、診断と投薬治療ができるモザンビークの医療技術師の資格を取得。2016年、日本の公益財団法人社会貢献支援財団の日本財団賞を受賞。

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