昭和29年 | 北海道増毛町に生まれる。 |
昭和44年 | 15歳で料理人を志し、札幌グランドホテルにて修業を始める。その後、帝国ホテルに移り、修業を続ける。 |
昭和49年 | 帝国ホテル村上料理長の推薦により、弱冠20歳で駐スイス日本大使館の料理長に就任する。
4年間の大使館勤務のかたわら、現代フランス料理界の天才料理人フレディ・ジラルデ氏に師事する。大使館退任後も、彼のもとで2年間の修業を積む。
その後、トロワグロ、オーベルジュ・ドゥ・リィル、ロアジス、アラン・シャペル等の三ツ星レストランにて修業を重ねる。 |
昭和58年 | 日本に帰国する。 |
昭和60年 | ビストロ・サカナザのシェフを経て、東京・四谷に"オテル・ドゥ・ミクニ"を開店する。 |
平成 5年 3月 | ロンドンのホテル"ザ・バークレー"にてミクニフェスティバルを開催。エリザベス女王ご来訪の栄誉を賜る。 |
平成 6年 2月 | 『世界の子どもにワクチンを』等のボランティア活動を始める。 |
平成 6年 6月 | フランス ボルドーワインの普及貢献が認められ、メドック・グラーヴ地区ボンタン騎士団の勲章を受勲。 |
平成 8年 6月 | アジア12ヶ国最優秀シェフ12名を決定するコンテスト"ボンラック・グレート・シェフズ・オブ・アジア賞"を日本代表の最優秀シェフとして受賞。 |
平成10年11月 | ルレ・エ・シャトー協会 世界のトップシェフ60人の1人に選ばれる。 |
平成11年11月 | ルレ・エ・シャトー世界5大陸トップ・シェフ6人に選ばれる。 |
平成11年 | フランスの高級レストランの料理人を中心とする組合、Chambre Syndicate de la Haute Cuisine Francaise(フランス高級料理組合)に日本人で初めて加入。 |
平成11年12月 | 日本フランス料理技術組合を発足。こちらはフランスの組合と日本の組合が相互に協力して行政との交渉や広報活動を行ったり、料理人の育成や子どもの味覚教育等に取り組む組織。 |
平成12年 7月 | 九州・沖縄サミット福岡蔵相会合の総料理長を務める。 |
平成14年10月 | イタリアスローフード協会主催の晩餐会をその年の世界最高のシェフとして務める。 |
平成14年12月 | 理事長を務める日本フランス料理技術組合が子供への食育活動の功績を認められ、食品産業技術功労賞≪特別賞≫を受賞。 |
平成15年 1月 | 北海道スローフード協会設立支部役員 |
平成15年 7月 | フランス共和国農事功労章 シュヴァリエを受勲。 |
平成16年 3月 | ギリシャ シェフ協会 認定名誉会員 |
平成16年 6月 | 「立ち上がる農山漁村」有識者会議メンバー |
平成16年10月 | 『ニューズウィーク日本版』「世界が尊敬する日本人100」に選ばれる。 |
平成16年11月 | 知的財産戦略本部コンテンツ専門調査会委員 |
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今後、料理界の文化発展に力を注ぐとともに、プロがプロを育てる学校の設立を計画中。 |