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首相官邸 Prime Minister of Japan and His Cabinet
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平成25年5月23日第19回国際交流会議「アジアの未来」安倍内閣総理大臣スピーチ

 アジアの未来を考えよう、毎年集まって、未来を考えようというテーマと、そしてその設定には、振り返って、先見の明があったと思います。

 未来を望み、理想を追い求めて、教育に、勤労に励んできたのが、私たち、アジアの子だったからです。

 フィリピン近代化の偉大なヒーロー、ホセ・リサールの言葉を、2つ引かせてください。
 「偉大な理想に捧げない人生とは、意味のないものだ。野に転がったまま、いかなる建物の一部にもならない、石くれのようなものである」というのが、そのひとつです。

 もうひとつ、私が好きなのは、「人の苗床となり、太陽となるのは、教育であり、自由である。それなしには、いかなる改革も成し遂げられず、何をやっても、望ましい結果はもたらせない」というものです。

 日本には、ホセ・リサールを慕う人たちがいました。その人たちは1961年、日比谷公園に記念碑を建てました。その一角に、1888年、リサールが日本に来たとき、投宿したホテルがあったからです。その後、1998年には、記念碑の上に立派な胸像が付け加えられています。

 教育を重んじ、自由を願うアジア、転がったままの石を、少しでもなくそうとするアジアは、いまやミャンマーを、アジアという名の、ひとつの「理想主義クラブ」に招じ入れました。

 明日から私は、妻の昭恵ともども、ミャンマーへ行きます。妻は、ミャンマーで学校を作ることをライフワークにしていますから、また訪れることができるのを楽しみにしているようです。

 さて、20世紀のちょうど真ん中、1950年の時点で、世界の様子を示した地図があります。
 2つだけ、マルがついていて、そのマルというのは、ニューヨークと、東京です。ニューヨークと、東京だけ、と言った方がいいでしょう。

 それは、1000万人以上の人口を抱える都市が、世界のどこにあったかを示した地図です。1950年には、巨大都市というものは、ニューヨークと東京の、2つしかありませんでした。

 その同じ世界地図を、2010年について作ったものを見てみると、マルの数は実に11倍、22カ所に増えています。22都市のうち、アジアの街は、どれぐらいだと思われますか?

 南西アジアまで含めると、12カ所にのぼります。

 世界の巨大都市22のうち、半分以上が、私たちの地域にあります。

 このことは、3つのことを、私たちに教えてくれます。

 第一に、アジアの成長とは、都市の勃興が原因となり、結果となるものだった、ということです。

 第二に、都市生活者が求めるいろいろな需要が、アジアでは、急速に似通ってくるという事実です。よく整備された公共交通機関や、コンビニエンスストアなど商業集積に対する需要は、アジアの各国において、ひとしく見られる現象になります。

 また東京やソウルで流行ったものは、アジア各都市でほとんど同時に人気を得るという、文化的同一性・同時性が、ここから生まれます。

 みなさんには今さら申すまでもありませんが、アジアでなら、2時間も飛ぶと、まったく違う国、文化へ旅することができます。

 それでいて、そこには、都市生活者が作り出す若い文化、躍動するライフスタイルという、共通性、同時性が、生まれているのです。多様性の中の、統一です。

 けれども三番目に指摘したいのは、私たちが抱える課題もまた、急速に、同一化しつつあるということです。

 人間の数が多くて、産業活動が集まる都市には、水や、空気の問題が生まれます。インフラの不備という、問題が出てきます。貧富の差は、ともすれば、強烈な対照を見せますし、感染症の温床ともなる、といったふうに、いろいろ悩みが、都市化とともに発生するわけです。

 アジアとは、だとすると、こんなふうに定義づけられるかもしれません。都市の悦楽や躍動が、互いを結びつける場所である。都市にまつわるあらゆる問題によっても、互いが結び合う場所である。

 これは私たち政治家に、ある使命を教えてくれます。経験を伝えるに、寛容であれ、経験を学ぶのに、謙虚であれという教訓です。その教訓に、忠実でなければならないという使命です。

 感染症の対策などは、格好の事例です。自国の国民が、病気にかからないように努めるその努力が、感染症を、よその国に移さないための努力にもなります。

 都市化が成長させたアジアとは、そこに共通の問題があるゆえに、指導者たちを謙虚にします。

 ですからアジアの未来とは、学び合う未来だとも、定義したいと思います。経験を伝えるに寛容で、学ぶに謙虚なアジアです。それを伸ばしていくことが、私たち、一国をあずかる者の使命です。

 今年私はジャカルタを訪問し、5つの原則を発表しました。ホセ・リサールの言葉ではありませんが、教育と、自由が、その根本にあります。

 わが国は、かつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と、苦痛を与えました。そのことに対する痛切な反省が、戦後日本の原点でした。

 そして過去60有余年、私の国は、自由と民主主義、基本的人権、法の支配を、堅固に守る国柄を、うまずたゆまず、育ててきたのであります。

 したがいまして5原則の第一とは、思想、表現、言論の自由――人類が獲得した普遍的価値は、私たちの地域、アジアにおいて、十全に幸(さき)わわねばならない、というものです。

 第二の原則とは、私たちにとって最も大切なコモンズである海は、力によってでなく、法と、ルールの支配するところでなくてはならないというものでした。

 第三に、日本は、自由でオープンな、互いに結び合った経済を求めるということですが、わが国は、マルチの経済連携枠組への加入を試みることで、これにもっと拍車をかけようとしています。

 第四が、文化のつながりを増やすこと、そして第五が、JENESYS 2.0といって、3万人の若者を、アジア諸国から日本へお招きするプログラムのことです。以上の、五つでした。

 この、四番目、文化のつながりを増やすという決意について、ひとつ「プレビュー」をご提供します。

 わたくしはいま、アジアの新文化創造へ向け日本は何をなすべきか、有識者に集まってもらい、お考えいただいています。「融合と調和」という、キー・コンセプトを打ち立ててもらっています。

 その結果を、今年の12月、ASEAN各国から、指導者の方々にご参集いただいて開催する「日本・ASEAN特別首脳会議」の際に、発表する予定です。

 日本と、アジアで、学び合う未来を作るため、新しい文化交流の政策を打ち出すことになるでしょう。どうかご期待ください。

 わたくしはこのスピーチを、アジアとは、未来を見つめ、教育を重んじ、自由を希求して、理想を目掛けて歩み続けてきた人々の集まりだと規定し、お話しし始めました。

 そのとき、ひそかに思っていました。日本こそは、その、最初のファウンダーだったはずじゃないのか、ということです。

 私がこのたび、総理に改めて就任して以来、経済の再建に全力を注いでいるわけを、お察しください。

 不況は人々を、うつむかせます。なかでもデフレは、人々の、希望と、期待を、直接むしばむ病気です。これが慢性化すると、国中から、楽観主義者がいなくなります。

 未来を、明るく望み見る人が、日本からいなくなってしまいます。若者は、結婚しなくなるし、未来を担うべき、赤ん坊の数も増えません。

 私は思いました。

 アジアの国々で、若者たちは未来の可能性を信じて前進している、まさにその時、日本の同世代だけが、いつまでも、うつむいていていいのだろうか、ということです。

 同時に、思いました。

 将来を悲観し、内へ、内へと閉じこもる日本人を育ててしまうなら、それは世界に対する責任の放棄になります。一国のリーダーに、決して許されないことだと思いました。

 そもそも日本は、縮み込むには大きすぎる国です。

 欧州で比べると、ドイツと、英国を合わせたより、少し大きいくらいのサイズが日本です。

 だとすると、日本が経済的に縮んでいくことは、みんなに迷惑をかけてしまいます。先ほど私は、アジアにとって大切なコモンズである海を、法と、ルールの支配する場所として保つべきだと言いました。しかしそのための努力を、かく言う私たち日本が、十分にはできない事態にもなりかねません。

 こんなことではいけない。そう思ったことが、私に、危機感を与えました。

 もう一度、日本は、若くて活力に満ちたアジアの、元気なメンバーにならなければいけない。かつての自分を、取り戻さなくてはならないと、思ったのがひとつ。

 そして、世のため、人のため、善をなし、徳を積むためにも、頼りにされる日本を、取り戻さなくてはならないと思ったのが、もうひとつの動機でした。

 それが、いま、世間で言う、「アベノミクス」を、私が一気呵成にやりたいと思った、大きな理由だったのです。

 これまで私自身、何度か紹介した歌なのですが、もういちど、紹介させてください。

 「桜よ」という歌です。

 日本を震災が襲った2カ月あとの、2011年5月、ジャカルタに、500人ちかいインドネシアの学生が集まって、この歌を熱唱してくれました。

 日本語で、ミュージカルを演じる学生たちが、新作演目のため作って、用意していた歌でした。その、もともと日本語の歌詞に、震災を受け、くじけそうになっている日本の人たちを励まそうと、次の言葉が新たに加わりました。

 「何かを失う寂しさ あきらめる悲しさ でも春は来る 来年も その先も ずっと先も」

 そして歌は言うのです、「桜よ 咲き誇れ 日本の 真ん中で 咲き誇れ。日本よ 咲き誇れ 世界の真ん中で 咲き誇れ」

 私は初め、驚き、そして、深く、感動しました。驚いたのは、500人の合唱の、その、力に対してです。日本語で、インドネシアの若者が、日本に向け、懸命に歌ってくれているという、その事実自体に対してでした。

 そしてもちろん、感動しました。「世界の 真ん中で 咲き誇れ」と、日本のことを励ましてくれる若者が、アジアにいるのだということに、です。

 戦後の、私たち、日本人の歩みは、このような善意を育てていたのだと、改めて知り、深く、頭を垂れ、襟を正したい気持ちになりました。

 ご参集のみなさま、私の役目とは、日本を、この歌にふさわしい、未来を向いて、もう一度力強く歩いていける国にしていくということです。

 絢爛そのものの多様性の中、都市居住者が育てる共通の志向、共通の文化によって、ダイナミックな融合を遂げつつあるアジアにおいて、活力あるメンバーとなるよう、日本を、生まれ変わらせることです。

 学び合い、自由を重んじ合う、アジアという名の理想主義クラブにおいて、驕らず、威張らず、しかし卑屈にも、偏狭にもならないで、経験を与えるにして寛容、学ぶにして謙虚な一員となるよう、日本人と、日本を、もう一度元気にすることなのです。

 最後はちょっと、決意表明みたいになってしまいました。食前酒の代わりにはならなかったかもしれませんが、これで、おしまいであります。

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