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首相官邸 Prime Minister of Japan and His Cabinet
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平成25年6月19日安倍総理大臣・経済政策に関する講演

Economic Policy Speech
18:30-19:10, 19 June 2013, Guildhall, London, UK

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 ギフォード市長、並びにご列席の皆様、本日は、市長のご厚意により、ここ、ギルドホールに立つ機会を与えられたことを光栄に思います。

 ワンス・アポン・ア・タイム。日本に、高橋是清という、財政家がおりました。帝政ロシアの軍事的脅威に、日本が、立ち向かおうとしていた時代です。
 なんとしても、日本政府の国債を、ロンドンの銀行団に、引き受けてもらう必要がありました。そのためたった一人、高橋は、シティにやって来ました。
 そのとき、助けてくれたのは、誰だったでしょう。
 香港上海銀行ロンドン支店長、サー・ユーウェン・キャメロン――。
 デイビッド・キャメロン首相の、高祖父に当たる方でした。
 高橋は、1920年代に首相や大蔵大臣を務め、デモクラシーの開花に立ち会います。1925年には、男子普通選挙が確立しました。英国に後れること、わずか7年でした。
 しかし高橋が、才能をいかんなく発揮したのは、大恐慌が世界を襲った1930年代のことです。実行したのは、典型的な、ケインズ政策でした。

 ジョン・メイナード・ケインズが、「一般理論」を発表する5年前、高橋は1931年に、ケインズを先取りする政策を打ち、深刻なデフレから、日本を、世界に先駆けて救い出すことに成功したのです。
 高橋は、私を勇気づけてやまない先人です。
 デフレとは、だんだん体温が下がるような状態です。放置すると、消費者は、モノを欲しがらなくなります。今年より、来年もっと値段が下がるなら、最適な行動は、「キャッシュを溜めこむ」ことになります。
 恐らく似た状況に、高橋は直面した。1931年、大蔵大臣に返り咲くと、「その日のうちに」、金の輸出を停止します。「その日のうちに」、というところが大事です。こびりついたデフレ心理は、一気に吹き払わない限り、取れないからです。
 私は、まさに、それを、試みました。人々の期待を上向きに変えるため、あらゆる政策を、一気呵成に、打ち込むべき、と、そう考えました。
 強い、政治的意思がなかったせいで、デフレは退治できなかった。私が持ち込んだのは、それです。強い、政治的意思でした。
 きょう、皆さんに、覚えて帰って欲しいことも、ここに尽きます。私の経済政策とは、私の政治的意思に、裏打ちされています。
 これは、日本のためだったでしょうか。
 もちろん、日本のためです。しかし世界にとって、伸びる日本とは、贅沢品ではありません。必要不可欠なものです。
 日本という国は、ドイツと、英国を合わせたより、大きい国です。そんな国が、マイナス成長をしたら?
 それこそが、言葉の真の意味における、近隣窮乏化政策ではないでしょうか。
 日本は、ルールに基づいた、平和で、安定した世界秩序を、育てる責任を負う国です。そんな国が縮んでしまうことは、それ自体が、既に一種の「罪」だとも言えます。
 日本経済は、回復の軌道に乗りました。今年第1四半期の成長率は、年率換算で、4.1%です。日本経済がもし1年で4.1%伸びますと、イスラエルを上回る国が、ひとつ新たにできるのと同じ効果をもちます。
 昨年第3四半期の成長率は、マイナス3.6%でした。変化の絶対値は、プラス方向へ「7.7」です。
 日本の雰囲気は、大胆な金融政策と、機動的な財政政策という、私の射込んだ一本目、二本目の矢で、確かに大きく変わりました。
 しかし最も大切なのは、三本目の矢である成長戦略です。
 成長戦略のコンセプトを、私は、チャレンジ、オープン、イノベーションという、3つの言葉に託しました。
 その要点をお話しする前に、これは日本にとって、いまは亡きマーガレット・サッチャーさんにならうなら、「TINA」だということ、There is no alternativeだということを、ご理解ください。
 なぜかというと、日本は、第一に、デフレからの脱却。第二に、労働生産性の向上。第三に、財政規律の維持、というトリプルの構造課題を、同時に解かなくてはならず、それには成長が、必須の条件だからです。

 ではいかにして、成長を図るのか。国を開くこと、日本の市場を、オープンにすることです。
 これは、政治家となって以来、私の中に流れる一貫した哲学でした。
 7年前に総理となったとき、私は、日本とASEANのEPAを締結するよう、交渉を急がせました。
 今回、再び総理となって最初の課題が、米国を中心とするTPP、そしてEUとのEPAに、果たして乗り出すべきか否かでした。
 TPPへの反対は、自民党を支持した皆さんにもありました。私は、全力で、説得しました。そのうえで、交渉参加に断を下しました。
 私が追い求める日本とは、世界に対してどこまでも、広々と、オープンにつながる日本です。
 日本の再興に必要なものは、古い日本を新しくし、新しい日本をもっと強くする、強力な触媒です。対日直接投資に、その期待がかかります。
 2020年までに、外国企業の対日直接投資残高を、いまの2倍、35兆円に拡大します。最近の相場で換算すると、3700億ドルを上回る規模になります。

 ひとつ、例を紹介します。限りないイノベーションの起こり得る、大きな市場が、日本に現れようとしています。電力市場のことです。
 福島を襲った悲劇は、終息しておりません。被災者の苦労を思うと、いても、立ってもいられない思いがします。
 しかし、電力市場を改革するなら、最大の危機を、機会に変えるべし。私のなかで、次第にそういう考えが強くなりました。
 原子力発電の安全性を高め、不拡散レジームに、貢献し続けること。世界の先頭を走ってきた日本は、ここから撤退する道を選びません。
 他方で私は、日本が、エネルギー技術で革新を起こす責任を負ったと思いました。
 世界中の、あらゆるエネルギー技術の融合を、日本こそが担うべきだと思いました。
 それこそが、「福島」を、未来へつないでいく道ではないか。そう思えたのです。
 日本の太陽光電力市場は、今年度、再び、世界でトップクラスの市場規模を取り戻します。
 風力、波力、バイオマス、水素そして燃料電池。私たちの前には、多様な機会が現れています。
 私たちは、欧州が、20年以上かけ、電力市場の自由化、開放と、発電・送電システムの分離、そして電力市場の連携と統合を進めてきた歴史に、多くを学びました。
 そして日本でも、つい先日、半世紀以上続いた市場の寡占に終止符を打ち、電力市場の自由化と、送配電の分離を進める意思決定をしたのです。
 これは、必ずや、広範なイノベーションのトリガーになります。投資を惹きつけてやまない、膨大な機会が現れるはずです。

 外から資本を招き、知識や経験の豊かな人材を積極的に受け入れて、どんな日本をつくりたいのか。
 いま電力について申し上げたように、リスクを果敢にとり、新分野にイノベーションを起こす、チャレンジする日本です。
 達成目標は、例えば、開業率を、米国、英国並みにすることです。
 この秋、税制に大きな変更を加えます。税をインセンティブとして使い、企業の事業再編を促進します。
 リスクをとって設備投資をする企業がインセンティブをもてるよう、投資減税も実行します。3年間で、国内民間投資の水準を、リーマン危機以前のレベル、70兆円、7千億ドル以上に戻すつもりです。
 市長、市長は、S.G. ウォーバーグでキャリアを始めた方ですから、1980年代の初め、シティのマーチャント・バンクが、こぞって東京に店を構えた時代を、よく覚えておいでですよね。
 あの頃以上の活気を、日本の随所で取り戻したいのです。ですから若い人を、「日本へ行け」と、どうか促してください。
 と、いうのも、国家戦略特区という、総理の私が、直接担当する場所で、徹底的な規制撤廃を図り、世界から資本と、叡智があつまる場を、日本にこしらえるつもりだからです。
 ロンドンやニューヨークといった都市に匹敵する、国際的なビジネス環境をつくる。世界中から、技術、人材、資金を集める都市をつくりたい。そう考えています。
 トップクラスの外国人医師が日本で働けるよう、制度を見直しますし、お子さんを通わせるインターナショナルスクールも、もっとつくりやすくします。建築規制を変更し、街の中心に人口を呼び戻します。本気です。
 世界から、ヒト、モノ、カネを呼び込んで、それを成長の糧としてまた大きくなる。そんな日本をつくる闘いが、私の取り組む闘いです。

 日本の停滞は、男たちの責任かもしれません。一様な発想をする男性が日本のビジネス・コミュニティーを支配した期間が、長すぎた。女性の経営参加は、それに比べ、少なすぎました。
 私は自らに課した使命として、女性のもつ力を徹底的に解放するつもりです。
 ガラスの天井を突き破るよう、彼女らを励ます一方、そのためのインフラを整える決意です。
 保育所のウエイティングリストを無くします。一度職場を離れた女性に、何度でも復帰できる助けをします。
 大学教育を変えたいのも、同じ動機からです。イノベーションは、新しい人が、新しい発想で起こすもの。女性、若者にかかる期待は、いやがうえにも大きくなります。
 世界の「優秀大学百傑」に、せめて10校、日本の大学を入れたいと思っています。まずは国が運営に携わる大学で、外国人教員の数を倍増します。
 高等教育の国際化を徹底的に進め、日本の若者をもっと世界に押し出す。同時に、世界の若者を、大々的に、日本へ招き入れたいと思っています。
 それから、高齢化がもたらすイノベーションがあるでしょう。高齢化に関して世界の先頭を行く日本は、成熟した社会にふさわしいサービスや、産業、技術を生み出すのに、誰より恵まれた位置にいるからです。
 健康や、高齢者介護の市場規模を、いまの約420億ドルから、2020年までに、1060億ドル以上に拡大させます。
 医薬品、医療機器、再生医療といった医療関連ビジネスの市場規模を、同じ期間に、1270億ドルから、1700億ドルまで増やします。
 既に、欧州の革新的な企業がたくさんこの市場に参入していることは、皆様もご承知のとおりです。
 これらもみな、私の「三本目の矢」をかたちづくる、大切な要素であることをご理解ください。
 日本をオープンにし、リスクに立ち向かうチャレンジをする社会にし、女性や、若者、外国人の力を借りてイノベーションが花開く場とすることで、私は日本を生まれ変わらせたい。
 30年、40年先に、喩えて言うならウインブルドンのセンターコートで、勝負できる国であるように、今、変えたいと思っているのです。

 日本は2007年からの5年間で、GNIを5000億ドルちかく、失いました。ノルウェーやポーランド・クラスの国が、まるごと世界から消えたのと同じでした。
 当然、徴税ベースは小さくなって、国債に頼る以外、財政を維持できなくなりました。これを建て直すには、どうすればいいでしょうか。やはり、成長しかありません。
 日本の信用を確保し、経済を持続的な成長の軌道に乗せながら、日本の財政規律が堅牢であることを、世界に示さなければなりません。
 まずは、成長です。そのための、「アベノミクス」です。そして、財政再建です。プライマリー・バランスに関わる目標は、それでこそ達成が可能になります。
 国と、地方を合わせた財政のプライマリー・バランスの対GDP比を、2015年度までに、2010年度の半分にし、2020年度までには黒字にします。
 ですから「アベノミクス」とは、世界経済と、日本経済の、Win-Winですし、経済成長と、財政再建の、Win-Winです。
 と、いうより、この、ふたつのWin-Winを追求する以外、日本の選択肢はありません。「TINA」です。

 前回私は、潰瘍性大腸炎という持病のせいで、総理を辞めざるを得ませんでした。2007年のことです。
 2009年になると、アサコールという、画期的な新薬が手に入るようになりました。実は、同じクスリは、ヨーロッパなどで、もっと早くから出回っていたのです。
 日本では、新薬の認証に、とても時間がかかります。外国でできた画期的な新薬を使えば、症状を改善できるかもしれないと思っても、日本のお医者さんは使えません。
 これを、ドラッグ・ラグといいます。ここにも、変えなくてはならない根深い規制がありました。
 アサコールというクスリが日本で出回るようになるのに、もっと時間がかかっていたら、もしかすると、今の私はありませんでした。だからこそ、ドラッグ・ラグを解消すること、難病患者の人生を取り戻し、豊かにしていくことが、私の役割だし、天命だと思っています。
 そして、日本の力を取り戻し、豊かにしていくこと。それが、私の役割、天命です。
 強い日本は、世界の公共財を、責任もって守り、育てる日本です。
 強い日本は、インド洋から、太平洋にかけての、広い海がつなぐ一帯に、平和と、安定と、繁栄をもたらす日本です。
 強い日本は、世界から貧困を減らし、子どもや女性の、人権の蹂躙に立ち向かい、疾病や、環境の悪化を少しでも防ぐ日本です。
 そういう日本にしたいと思って、再び立ち上がったのです。二度目の機会を手にして、思いはますます強まりました。
 私の成長戦略は、官僚たちに書かせた、ただのエッセイではあり得ません。私がアンダーライトし、実行するものです。
 そのために必要な、十分な量の政治的資本を、私は死にもの狂いで強くしようと励んで来たし、これからも、励むということを、どうぞご記憶ください。
 総理に就任以来、私は、毎月4回ある週末のうち、1回は、津波に襲われた被災地の視察へ行くのに当てています。1回は、日本の可能性を探るため、他の地方へ行くのに使います。
 さらに1回は、プレスの取材に応じたり、いろいろな人の意見を聞いたりするために使い、残る1回で、外国訪問をこなしてきました。
 日本を政治的、経済的に売り込むため、訪れた国は、昨年12月の就任以来6カ月で、13カ国を数えます。
 今度の旅から帰国しますとすぐ、私は都議会議員選挙と、参議院選挙に走り回らなくてはなりません。このどちらでも、自民党に勝利を与えたい。そう思っています。改革を実行に移さねばならず、与えられた時間は、多くないからです。
 そして選挙が終わったらどうするか。私はこれからの3年を、集中的な改革の期間と位置付け、持てる政治力を、投入します。
 固い、岩盤のような日本の規制を、私自身をドリルの刃(やいば)として、突き破ろうと思っています。今度こそ、日本をいい国、強い国にして、次の世代に渡すことができないようでは、いままで生きてきた意味がありません。
 昨日までの、ロック・アーンG8サミットが会場とした、ゴルフ場を思い出します。
 最終ホール、18番パー 3で、設計者ニック・ファルドが何を試したかったかは明らかでした。
 ボールが少しでも左に寄ると、ホテルのテラスを直撃します。池とOBが、手前と、右に迫っています。
 取るべき道は一つしかありません。迷わずアドレスを決め、センターに向かって振り抜くことです。
 あたかもこれは、世界のあらゆるリーダーに求められる試練と同じである、と、私はG8の仲間たちに、そう主張しました。
 勇敢で、果断な判断、実行こそが、苦境を乗り越える唯一の選択でしょう。
 日本の将来に、どうぞ投資を続けてください。一緒に、強い日本をつくっていくことをお願いし、私のスピーチとさせていただきます。

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