水俣病犠牲者慰霊式「祈りの言葉」



 水俣病犠牲者慰霊式に臨み、水俣病によって、かけがえのない命を失われた方々に対し、心から哀悼の意を表します。
 本日は、我が国の首相として初めて、水俣病犠牲者慰霊式に参列できましたこと感無量でございます。
 今、この地に立ち、水俣が生んだ明治の文豪コ冨蘆花が一幅の「生命(いのち)踊る油絵」と讃えた美しい海を見るに及んで、このすばらしい海を汚(けが)し、深刻な健康被害をもたらし、そして、差別・偏見・不和など地域全体の絆を破壊してしまったことについて、思いを深く感ぜずにはいられません。
 熊本、鹿児島にとどまらず、さらに後年、新潟で第二の水俣病が引き起こされたことは、誠に痛恨の極みであります。こうして各地で、長きにわたる大変な苦しみの中でお亡くなりになられた方々、御遺族の方々、地域に生じた軋轢に苦しまれた方々、また、今なお苦しみの中にある方々に対し、誠に申し訳ないという気持ちで一杯であります。
 ここに、政府を代表して、かつて公害防止の責任を十分に果たすことができず、水俣病の被害の拡大を防止できなかった責任を認め、改めて衷心よりお詫び申し上げます。国として、責任を持って被害者の方々への償いを全うしなければならないと、再度認識いたしました。

 昭和31年5月1日、チッソの付属病院の野田医師が、水俣保健所に患者の発生を報告するべく飛び込んでいったのが、54年前の今日のことです。そして、昭和40年6月12日、新潟においても水俣病の患者の発生が発表されました。
 公式確認から54年という長い年月を経た今日に至るまで、水俣病問題の解決に関して様々な方が努力されてきましたが、なお大きな課題が残されております。
 特に、今日なお、救済を求めておられる方々が多くいらっしゃいます。御高齢の方も大勢いらっしゃいます。
 こうした事態を放置できないことから、「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」が制定されました。
 鳩山内閣は、「いのちを守る政治」の具体化として、被害者団体や関係者と何度も話し合い、一心に解決を模索努力した結果、今般、「救済措置の方針」の制定に至りました。この上は、いのちを守るとの基本的な考えのもとに、水俣病被害者を迅速に、かつ、あたう限りすべて救済いたします。
 万感の思いを込めて、本日、5月1日から、申請の受付を開始することを、表明させていただきます。
 また、裁判をしておられる方々とも和解できないかと、何度も話し合いを重ね、この度、ノーモア・ミナマタ訴訟原告団の方々と裁判所において基本的合意を成立させることができたことは、大きな成果であったと思います。
 しかしながら、水俣病問題がこれで終わるなどとは決して思っておりません。むしろ、今日のこの日を、新たな出発の日にしたいと思います。
 水俣病問題の解決のためには、すべての被害者の方々はもとより、地域の皆様が安心して暮らしていけることが何よりも大切であり、将来に向かって、地方公共団体と連携しながら、胎児性患者の方を始めとする方々の医療・福祉や健康不安者の健康モニタリング、地域の絆の修復・もやい直しを進めるとともに、環境対策に熱心に取り組むことで地域が発展し、成長するモデルを作り出せるよう、全力で取り組んでまいる決意であります。そして、水俣病の教訓を世界に発信していきます。

 私は、水俣病と同様の健康被害や環境破壊が、世界のいずれの国でも繰り返されることのないよう、国際的な水銀汚染の防止のための条約づくりに積極的に貢献していく決意です。このため、まず来年1月に開催される第2回の交渉会議を我が国において開催することといたします。 さらに、最終的にこの条約の採択と署名を行うために2013年頃開催される外交会議についても我が国に招致することにより、「水俣条約」と名付け、水銀汚染の防止への取組を世界に誓いたいと思います。

 水俣病のような悲惨な経験を再び繰り返さないようにしていくことが大切であります。
 国として、地方公共団体、事業者、国民の皆様とともに、いのちを守り、公害のない、持続可能な社会の実現に向けて、また、恵み豊かな自然環境を保全し、将来に継承していくため、全力で取り組んでいくことを、ここにお誓い申し上げます。
 最後に、改めて、水俣病の犠牲となりお亡くなりになられた方々の御冥福をお祈りし、私の「祈りの言葉」とさせていただきます。


平成22年5月1日
内閣総理大臣 鳩山 由紀夫