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首相官邸 Prime Minister of Japan and His Cabinet
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「なぜ」、「いま」、平和安全法制か?

(最終更新日:平成28年6月10日)

 平成28年3月29日、平和安全法制が施行されました。
 本法制の施行は、抑止力の向上と地域及び国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献することを通じて、わが国の平和と安全を一層確かなものにするものであり、歴史的な重要性を持つものです。
 防衛省・自衛隊においては、新たに与えられる任務を、安全を確保しつつ適切に遂行できるよう、万全の態勢を整えてまいります。

【お知らせ】

  • 平和安全法制が施行されました。(平成28年3月29日)
  • 外国の潜水艦がわが国の接続水域内を航行した事案について、内容を更新しました。(平成28年2月22日)
  • 北朝鮮が1月6日に4回目の核実験を行い、2月7日に弾道ミサイルを発射したことを受け、内容を更新しました。(平成28年2月12日)

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内閣官房長官からのメッセージ

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1.私たちの暮らしが脅威にさらされている? 日本を取りまく状況を説明します

 安全保障に関して私たちが置かれている状況、すなわち、日本の「安全保障環境」は、ますます厳しさを増しています。
 近年、アジア太平洋地域でも、国際社会全体でも、平和、安全、そして繁栄を脅かす、様々な課題や不安定要因があきらかになってきました。
 日本は、平和で安全な社会を引き続き発展させていくため、これらの脅威に対応していく必要があります。

最近のわが国周辺の安全保障関連事象
日本周辺の安全保障環境は厳しさを増しています
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国際社会全体の安全保障環境も変化しています
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安全保障環境の事例(1) 中国公船への監視警戒の状況
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安全保障環境の事例(2) 自衛隊機の緊急発進(スクランブル)状況
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安全保障環境の事例(3) 近年発生した危険な事案
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2.平和安全法制の成立で「紛争を未然に防ぐ力(抑止力)が高まる」というのは、どういうことでしょうか

 日本の平和と安全を確保するためには、紛争を未然に防ぐ力、つまり、「抑止力」を高めることが必要です。平和安全法制の目的の一つは、「抑止力」を高めることにあります。

「抑止力」=「紛争を未然に防ぐ力」です
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日常生活にも「抑止力」はありますが、意識する必要がありません
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外国などとの関係では「抑止力」を考えます
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「平和安全法制」で紛争を未然に防ぎます
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3.世界各地で頻発している紛争や暴力が、日本人を脅かす理由を説明します

 急速なグローバル化の中で、安全保障上の脅威となる事案が世界のどの地域・領域で発生しても、我が国の平和と安全に影響を及ぼすようになっています。また、海外で活躍する日本人が増えている一方で、世界のテロ発生件数は増加しており、日本人が被害を受けるテロも残念ながら発生しています。

海上で衝突や不測の事態が発生する危険性
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国際テロ組織等によるテロの脅威
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4.日本をとりまく脅威を減らし、国際紛争を防止するため、まず外交活動を優先しています

 このような厳しい安全保障環境にあっても、まずは、紛争にならないよう、外交での努力が重要です。そのために、国際社会との信頼・協力関係を作り、安全保障環境をよりよくするために、力強い外交を推進しています。
 日本は、世界の平和と安定そして繁栄に貢献する、「積極的平和主義」を掲げ、国際社会で活動を行っています。安倍総理も、50以上の国や地域を訪問し、内外の国際会議で「積極的平和主義」を説いてきました。
 その中で、今回の平和安全法制の成立に対しても、米国、英国、ドイツ、オーストラリア、EU、フィリピン、インドネシア、スリランカ、さらに太平洋諸国など多くの国から、支持や歓迎が表明されています。

平和安全法制の成立を支持・歓迎する国際社会の声
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日本の「積極的平和主義」
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「積極的平和主義」の例(1):海賊対策
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「積極的平和主義」の例(2):昔の戦地での災害救援
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5.海外で活動している自衛隊員の姿をご覧ください

 世界各地で紛争等が発生する中、現在の国際社会においては、国際連合憲章が理想として掲げたいわゆる正規の「国連軍」は実現していません。しかしながら、紛争が放置されてよいはずがありません。そこで、国際協力に積極的な国々が、様々な枠組み(同盟関係、国連平和維持活動等)により、これらの紛争に対応しています。
 我が国は国際社会の期待に応え、自衛隊がこれらの活動に参加し、各種の支援活動を着実に実施してきました。自衛隊は、これまで、アジア、中東、アフリカ、中米等世界各地で、約30の国際活動を実施し、合計約5.3万人の自衛隊員を派遣してきています。

自衛隊の国際平和協力活動等
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他国部隊用の居住コンテナ構築

避難民支援(施設等整備)

ソマリア沖・アデン湾における自衛隊の海賊対処行動

6.日本の安全保障の基軸:自衛隊と日米安保体制

 日本の安全保障は、自衛隊と日米安保体制を基軸としています。ここでは、戦後の日米安保の歩みを簡単に振り返り、脅威を防ぐために日米間での一層の連携が重要であることを説明します。

専守防衛と日米同盟

 いつ、いかなる事態になろうとも、国民の安全を守ること、そして、国の領土・領海・領空を守って国家の機能を維持することは、政府の任務の中核です。
 もちろん、国外の脅威を減らすために、普段から外交を展開しています。しかし、政府としては、日本が攻撃されるという最悪の事態に対する備えをしなければなりません。また、日本のどこが、いつ、どのような手法で襲われるのかを完全に予測することはできませんから、万々が一の備えを怠ることはできません。
 そのためには、想定しうる脅威に対して十分な規模の戦力を持ち、脅威が増加する場合にはそれに応じて戦力を増強すべきものなのかもしれません。実際、多くの国はそのようにしているものと考えられます。
 しかし、日本国民は「戦前を繰り返さない」との決意のもと、戦後、日本国憲法で、防衛力を自衛のための必要最小限のものに限りました。
 そこで、日本は、専守防衛に拠ることとしつつ、自らの防衛力だけに頼るのではなく、米国と同盟関係となり、米国の軍事力にも頼る安全保障体制を選択してきました。つまり、日本の安全保障は、自衛隊と日米安保体制の2つを基軸としています。そして日米安保体制の制度上の基盤として、日米両国は「相互協力及び安全保障条約」、いわゆる日米安保条約を結んでいます。
 国防の現場では、日米が連携しながら、国際情勢の変化、動静を注視しています。そして、場合によっては、日本独自で、あるいは米国と共同で即応し、脅威を未然に防ぐことに全力を挙げています。

 ここで、戦後の様子を、簡単に振り返ってみましょう。

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朝鮮戦争の勃発と警察予備隊、自衛隊の発足

 1950年6月、北朝鮮軍が突如38度線を越えて南下を始め、朝鮮戦争が勃発しました。これにより、在日米軍の主力が、国連軍として朝鮮半島に展開しました。
 このため、国内の治安維持機能が手薄にならないようにと、政府は同年8月に警察予備隊を創設しました。翌51年に対日講和条約と旧日米安保条約が調印され、52年には警察予備隊は保安庁となります。朝鮮戦争も53年に休戦します。ただし、「終戦」でなく、その後今日にいたるまで「休戦」の状態が続いています。
 その後、54年7月、日本の平和と独立を守り、外国の侵略から国民の生命・財産を守る組織として、防衛庁・自衛隊が誕生します。初代の防衛庁長官・木村篤太郎は「真に国民の自衛隊たれ」と訓示しました。

当時の写真防衛庁開庁記念式典(木村篤太郎長官に敬礼する隊員) (1954年7月1日、東京都江東区越中島庁舎屋上)

防衛庁創設に合わせて制定された自衛隊旗(左)と自衛艦旗(右)。中央は木村篤太郎長官(1954年6月26日、東京都江東区越中島)

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自衛隊の合憲性についての議論と皆さんからの評価

 自衛隊をめぐっては、その発足時から、「存在そのものが違憲である」という議論がありました。自衛隊への国民の支持が高まった現在においても、自衛隊の違憲性を主張する論調は、一部残っています。

1970年代
 国会に議席をもつ政党のいくつかは、自衛隊を違憲としており、また自衛隊を違憲とする訴訟も行われている。
 このように、現実の自衛隊の必要性は認めつつも、その憲法上の正当性については懐疑的な世論がかなり存在していることは、隊員の士気に少なからぬ影響を及ぼしている。

(1976年防衛白書)

1980年代
 自衛隊と憲法については、(略)「自衛権」、「戦力」などの憲法解釈とあいまって、その合憲、違憲が国会で論議されたこともあり、戦後これまで、国民の大きな関心事となっている。

(1981年防衛白書)

  • 合憲性に関する政府見解(2010年・平成22年3月23日 鳩山由紀夫内閣)
  • 「憲法第九条は、日本が主権国家として持つ固有の自衛権まで否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊は、憲法上認められるものである。」
    「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(昭和三十五年条約第六号)に基づき日本が負っている義務は、憲法の範囲内のものである。」

    衆議院議員浅尾慶一郎君提出自衛隊と日米安全保障条約についての鳩山由紀夫内閣の統一見解に関する質問に対する答弁書

  • 内閣府世論調査(2014年・平成26年)
  •  自衛隊への全般的な印象について、9割以上の皆さんが「良い」と回答。

    自衛隊に対する印象(時系列)
    内閣府世論調査(自衛隊に対する印象)

     

  • 朝日新聞の調査によると、回答した憲法学者の約2/3は、自衛隊を「違憲」・「違憲の可能性あり」と答えています。
  • 朝日新聞「安保法案・学者アンケート」(抜粋)(平成27年6月下旬調査。朝日新聞ホームページに掲載)
    質問 : 現在の自衛隊の存在は憲法違反にあたると考えますか。
     (1) 憲法違反にあたる...50人
     (2) 憲法違反の可能性がある...27人
     (3) 憲法違反にはあたらない可能性がある...13人
     (4) 憲法違反にはあたらない...28人
     (5) 無回答...4人

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日米安保体制 (その1 1950年代~60年代)

 1951年、日本の独立を回復するサンフランシスコ平和条約の署名と同じ日に、日米両国は(旧)日米安保条約に署名しました。
 その後、朝鮮戦争以降の東西間の冷戦、共産圏内部での中・ソ対立の激化、その中での米・ソ・中による核実験の連続など、安全保障情勢は厳しさを増しました。一方、日本国内では、戦後復興、そして続く経済成長の中で、「経済優先・軽武装」路線が進められました。
 60年になると、日米安保条約が改定され、日米共に、相手国に対して、相互に義務を負う体制に改めました。

  • 日米共に、日本の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法に従って共通の危険に対処する。
  • 日本の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、米国の陸・空・海軍が日本で施設及び区域を使うことを許される。

 当時は、「この改定で、日本が米国の軍事活動に巻き込まれる」といった理由から、国内で大反対運動が起こりました。
 その後、50年以上が経過しましたが、今では、改定された日米安保条約に反対する声はほとんど聞かれません。

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日米安保体制 (その2 1970年代~)

 1972年、沖縄の施政権が日本に返還されました。同年にはニクソン米大統領が訪中します(米中国交回復は79年)。日本も続いて、72年に田中首相が訪中し国交を回復、78年に日中友好平和条約を結びました。
 1978年には、日米両国は、安保体制の下での協力の枠組みを明文化した「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」を作り、自衛隊と米軍の協力を緊密に、幅広く進めて、日米同盟の抑止力、対処力を強めてきています。自衛隊と米軍の共同訓練も、年々、拡充されています。

日米共同訓練の拡充   
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冷戦後の新展開 ~ どの国も一国だけで平和を守ることができない情勢に

 1989年に東西ベルリンの壁が崩れ、91年にはソ連が崩壊し、東西冷戦が終了しました。しかし、一方で90年代には、北朝鮮による核開発の動きが明らかになりました。さらに、北朝鮮はミサイルを発射して日本列島上空を通過させました。96年には中台危機が発生しました。
 こうした冷戦後の安全保障環境の変化を踏まえ、97年に2度目のガイドラインが策定され、日本有事のみならず、「周辺事態」における協力が盛り込まれるなど、自衛隊と米軍の協力の枠組みが見直されました。
 2001年9月には、米国で同時多発テロ事件が発生し、国際社会による本格的な「テロとの闘い」が始まる契機となりました。
 一方で、近隣諸国の軍備増強は進み、近年、自衛隊機によるスクランブル回数が東西冷戦期のピーク並みに戻っています。(⇒「1.私たちの暮らしが脅威にさらされている? 日本を取りまく状況を説明します」をご覧ください)
 今や、世界は、どの国も一国だけで平和を守ることができない情勢となりました。
 積極的平和主義や平和安全法制は、この情勢に対応するものです。
 日本は、外交や国際平和協力活動によって世界での発言力を強めるとともに、日米同盟が揺るぎないことを内外に示すことによって抑止力を高めます。そのために、日本の防衛にあたる米軍の活動と、より一層、連携して行動し得るよう、自衛隊の役割や任務を拡げることが必要です。2015年には、日米協力の「拡がり」に対応し、協力を充実・強化した新しいガイドラインを策定しました。
 なお、それらが日本国憲法の許容範囲内でなければならないのは、勿論のことです。(⇒「8.平和安全法制と憲法」で憲法との関連を説明します)

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日本の経済発展と「安保ただ乗り」論

 しかし、日米安保体制は、常に盤石であったわけではありません。
 戦後50年近くにわたり、東西両陣営は世界で主導権を争いました。その中で、徐々に中国が台頭していきます。一方で、度重なる核実験はあったものの核戦争は勃発せず、遂には東側の崩壊で、東西冷戦は消えました。こうした厳しい流れの中で、日本は、二度のオイルショックに見舞われたものの、経済優先を貫くことができ、米国に次ぐ世界第二位の経済大国にまで発展できました。
 日本経済がオイルショックを乗り越え、国際社会での勢いを顕著にした1980年代後半頃から、米国で「日本は、十分な防衛負担を果たさない一方、米国市場を米国企業から奪うことで、経済成長を果たしている」という日本の安保ただ乗り論が強まりました(※)。特に、91年の湾岸戦争時の日本の役割や負担を巡って、この種の論議が加熱しました(⇒「7.これまで、安全保障上の重要時期に日本はどう動いたのでしょうか」をご覧ください)。

(※)例えば、昭和63年外交青書には、「米国議会を中心に、米国が安全保障面で多大な負担を強いられているにもかかわらず、日本はその経済力に相応の貢献をしていない、あるいは抜け駆けを行っているとの、いわば『ただ乗り』論的な対日批判が見られた」とあります。

 確かに米国は、日米安保条約により、日本の施政下にある領域における日本への武力攻撃がある場合には、共通の危険への対処行動をすることになっています。
 しかし、日本はこの条約が有るからといって、自らを守る努力を怠ってよいのでしょうか。米国兵士が、自国米国ではなく日本のために、リスクを冒している時に、もし、日本が自ら可能な行動をとらなかったら、その兵士の配偶者や子供、親、友人たちは、どう考えるでしょうか。「日米安保条約が有るから米軍が行動するのは義務だ」、あるいは、「日本が自らそうした行動をとることは、ほとんどの学者が憲法違反だと言っているからできないのだ」と言われて「なるほど仕方がない」と納得できるでしょうか?
 日米安保条約が無い状態を想像してみましょう。日本は、想定される脅威に対して十分な戦力を、すべて自ら持つことにするのでしょうか。その場合、現行憲法との整合性はどうでしょうか。あるいは、攻撃を行う外敵に「日本国民は、日本国憲法の前文に書かれているとおり、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼している」、と説得を試みるのでしょうか。
 私たちが友人と付き合う時も似た面があります。大事な友人であるからこそ、自分の考え方や立場だけでなく、相手の考え方や立場に立ってものを考え、必要な協力や努力をする、また、一方的に相手に甘えないことにする、そうしないと、友人関係も脆くなりかねません。
 双務性を高めることは、信頼の絆を強め、より対等な関係を作り上げることにつながる。そして、それは、日本をより安全にすることにつながります。

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7.これまで、安全保障上の重要時期に日本はどう動いたのでしょうか

1985年、イラン・イラク戦争でイランに取り残された邦人を、自衛隊は救出に行けませんでした

 イラン・イラク戦争中の1985年3月、イラク政府が、民間航空機を含め、イラン領空の全ての航空機を攻撃対象にする旨発表したため、イランからの脱出を希望する200名以上の邦人が危険にさらされました。
 しかし、法制上、当時の自衛隊法は海外の邦人を輸送するための自衛隊の活動を規定しておらず、自衛隊の派遣はできませんでした。
 日本政府がトルコ政府に働きかけた結果、邦人は、最終的にトルコ航空の旅客機に乗り、脱出できました。パイロットや客室乗務員というトルコの民間人が、危険を承知でテヘランに行ってくれたのです。
 トルコ側の計らいの背景には、1890年に和歌山県沖でトルコ軍艦が遭難した際、地元住民が献身的な救助活動を行い、69人を救助したという「エルトゥールル号事件」の恩に報いるとの精神があったといいます。
 しかし、自国の国民の安全の確保を、他国の、しかも民間人の好意と行為に委ねる、というのは、本来の姿でしょうか。

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1991年、湾岸危機に対し資金協力を行いましたが、人的貢献の重要性が痛感されました

 1990年8月、イラク軍がクウェートに侵攻しました。これを受け、翌91年1月、国連決議を得て、米国を始めとする多国籍軍がイラクに対する武力攻撃を開始、攻撃は同年2月末に事実上の停戦が成立するまで続きました。
 日本は、中東諸国から必要な石油の約7割(当時)を輸入しており、ペルシャ湾の混乱は国民生活を直撃し、大きなダメージにつながることから、国際社会には、日本の貢献を当然視する声がありました。しかし、当時の自衛隊法は依然として国際貢献のための自衛隊の海外での活動を規定しておらず、日本は人員を派遣することができませんでした。
 そこで、日本は、湾岸地域の平和回復活動への支援を目的として、約1兆5,000億円の資金協力を行いました。これは、国民一人あたり1万円を超える大きな額で、これを目的として新しい税まで作られました。
 しかし、日本のこの協力に対しては、「遅過ぎる、少な過ぎる」「人的側面の協力が含まれない」といった批判が噴出しました。中東の安定で大きな便益を受ける日本が人的貢献をできなかったことへの、国際社会からの不満が露呈したのです。
 そこで、停戦発効後の1991年4月~10月、ペルシャ湾での機雷除去のための掃海艇等の派遣をはじめて実施しました。これは日本の船舶の航行の安全を確保するために、自衛隊法第99条(当時)の規定に基づく航路啓開業務として実施したものですが、国会では、自衛隊の海外派兵であり憲法の平和原則に反するなどの反対意見もありました(※)。

ペルシャ湾掃海派遣(湾岸の夜明け作戦)      

(※)反対意見の例
 「今回の政府決定は、憲法並びに自衛隊法の許容範囲を著しく超えており、到底容認できるものではないということであります」(日本社会党 上原康助議員 平成3年4月25日 衆議院本会議)
 「いかなる名目や形をとろうと、自衛隊の部隊を海外に派遣することは、憲法の平和原則に反することはもちろん、この自衛隊法にも明白に違反するものであります。(中略)日本の軍隊の海外派兵そのものではありませんか。」(日本共産党 東中光雄議員 平成3年4月25日 衆議院本会議)

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1992年、自衛隊を海外派遣するPKO法が制定されました。当時は強い反対の声がありましたが、現在は賛成が多数です

 国際社会における日本の地位と責任に照らせば、日本は、国連平和維持活動(国連PKO)に、人的・物的の両面で貢献すべきです。これにより、世界の平和と安定に貢献できるようになり、日本に対する国際社会からの声望が高まります。それは、日本の安全保障にもつながります。
 「日本は平和国家だから、日本国内だけで活動すべし」と主張するだけでは、世界への貢献にも、日本の安全保障を高めることにもなりません。相手は国内にいないのです。
 さらに、湾岸戦争でも、人的貢献の重要性が痛感されました。当時、バングラデシュ、パキスタン、ネパールといった、経済力の小さい国や外国から援助を受けている途上国も含め、多くの国々がPKO活動に要員を派遣し、世界に貢献していました。
 これを受けて、1992年、国際平和協力法(PKO法)が成立しました。この法律は、初めて自衛隊の本格的な海外における活動を可能にするものです。
 国会審議の過程では、一部の野党は、自衛隊の海外派兵の道を開くものであるなどと強い反対の声をあげ(※1)、法案の採決に際していわゆる「牛歩」も行いました。
 その後、実績を積み重ねた結果、こういった反対論はほとんど聞かれなくなりました。現在では、9割以上の国民の皆さんから、「参加すべし」との意見を頂いています。
 カンボジアで国連ボランティアとして殉職した中田厚仁さんの「だれかがやらなければならないことがあるとすれば、それは自分がやるんだ」(※2)という言葉を、忘れてはなりません。

(※1)国会での反対意見の例
 「いかなる修正、いかなる粉飾を凝らそうとも、自衛隊の海外派兵は、憲法の平和原則に対する真正面からの攻撃であり、じゅうりんであるということであります。(中略)再び海外派兵への突破口がつくられようとしているのであります」(日本共産党 金子満広議員 平成4年6月15日 衆議院本会議)

(※2)中田武仁『息子への手紙』(朝日新聞出版社)p.16

内閣府世論調査(国連平和維持活動への参加についての考え方)

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これまで、日本からのべ1万人以上が国連PKO活動に参加し、諸外国からも高い評価が寄せられています

 日本は、世界各地での国連PKOに、ヒト・モノの両面から協力を行ってきました。これまで、計13ミッションに、延べ約10,400名の要員(2015年9月時点)を派遣しています。
 近年、当事国政府の能力向上や、安全な環境の創出が、重要な役割となっています。その中で、日本の活動は、平和国家らしい協力、現地の人々に配慮した協力、高い規律に基づく実直かつ丁寧な仕事の進め方など、国際社会から高い評価を得ています。「積極的平和主義」の立場から、引き続き積極的に参加します。
(⇒「5.海外で活動している自衛隊員の姿をご覧ください」もご覧ください)


【参考】これまで行ってきた代表的な国連PKO活動
  • アンゴラ(92年)…初の要員派遣。投票状況の監視等を行いました。
     
     
  • カンボジア(92年~93年)…初の本格的な自衛隊部隊派遣。施設部隊が道路や橋の補修等を行いました。
     
  • 南スーダン(2011年~)…現在、自衛隊が司令部業務や施設活動を行っています。
     

日本の国際平和協力業務の実績

我が国の国連平和維持活動等に対する各国及び国連からの謝辞
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2001年、テロ対策特別措置法が制定され、インド洋で支援を行いました

 2001年9月11日、米国同時多発テロが発生しました。米国はこのテロ攻撃をテロ組織アル・カーイダの犯行と断定し、拠点を置いていたアフガニスタンのタリバーン政権にアル・カーイダ指導者全員の引き渡し等を要求しました。10月7日、要求を拒んだタリバーンの軍事施設等に対して、米国等が攻撃を開始し、12月中旬にタリバーンの実効支配が崩壊しました。
 日本では、自衛隊から米軍等に対し、医療、輸送・補給などの支援活動を可能にするため、「テロ対策特別措置法」が制定され、インド洋へ海上自衛隊の艦船を派遣、テロ対策を行う10カ国以上の海軍へ洋上補給等を実施しました。
 「テロ対策特別措置法」の国会審議では「艦船への補給」や「武器・弾薬の輸送」は違憲だといった主張もありました。しかし、日本の取組は、アフガニスタン内のテロリストの移動制限に役立つなど、テロ抑制の一助となりました。このような実際の活動に対し、違憲であるとの批判はほとんど聞かれませんでした。
 日本の取組に対しては、米国政府関係者はもとより、欧米諸国、そして中東諸国から、歓迎や感謝の意が表されました。

インド洋における補給支援活動の実績(テロ対策措置法・補給支援特措法)      
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2003年、イラク人道復興支援特別措置法により、協力を行っています

 2003年5月、イラクにおける人道・復興支援を国連加盟国に要請する国連安保理決議(第1483号)が採択されたことを受けて、日本は、「イラク人道復興支援特別措置法」を制定し、人道復興支援活動を行いました。
 この活動では、自衛隊及び文民であるイラク復興支援職員をイラクに派遣し、ムサンナー県サマーワにおいて、医療・給水・公共施設の復旧・整備等を実施しました。また、クウェートを拠点に、C-130輸送機によりイラク国内の飛行場との間で人員・物資の輸送を実施しました。
 「イラク人道復興支援特別措置法」の国会審議では、武器弾薬の輸送は違憲であり、また攻撃を受けても反撃はできない、といった主張もありました。しかし、最終的には合計8790人の自衛隊員が活躍、現地病院での新生児死亡率を1/3に低下させ、円滑な交通を実現するなど、イラクの復興にとって重要な役割を果たしました。
 この自衛隊の活動に対しては、米国や英国を始めとする欧米諸国からはもとより、イラクを含む多くの中東諸国からも、イラク国民に資する取組だとして評価されました。

イラクにおける人道復興支援活動等の実績(イラク人道復興支援特措法)
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平和安全法制で、世界の平和と安全のための貢献が円滑になり、日本の平和と安全にもつながります

 このように、自衛隊は、国際平和協力の実績を積み重ね、海外で高い評価を受けています。
 これまでに、自衛隊による国際平和協力活動の実施地域は、近隣アジアや中東諸国から、アフリカなど全世界に広がっています。それだけに、協力のための訓練や、情報収集などは、普段から行っておくことが必要です。
 そこで、今回の平和安全法制で、国連PKOへの参加だけでなく、国際社会の平和のために活動する他国軍隊への支援も含め、自衛隊による国際平和協力に関する法制度が、一般法として整備されました(従来は、特別措置法に基づいて実施)。これにより、平素から活動や準備等ができるようになりました。今後は、十分な訓練と正確な情報によって、一層円滑な活動が可能になり、世界の平和と安全に一層貢献できることになります。
 また、この法制により、困難な活動であっても国際社会に積極的に貢献する姿勢を明確に示すことは、国際社会での日本の声望が高まることにもなり、それによっても、日本の平和と安全を確保することにつながります。

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8.平和安全法制と憲法

 平和安全法制の国会審議では、「この法案は日本国憲法に違反するのではないか」という質問が最も多く出されたところです。
 しかし、政府はそもそも憲法に根拠をもって存在するものであり、政府が国会に、憲法に違反した法案を提出することは許されません。
 ここでは、平和安全法制が現行憲法の枠内であることを説明します。

自衛権・集団的自衛権に関するこれまでの議論(砂川事件判決と1972年政府見解)

 砂川事件最高裁判決から説明を始めます。
 日本では、合憲か違憲かの判断は、憲法第81条に定められているとおり、最終的には最高裁判所が行います。
 これまで最高裁判所が自衛権について考え方を示した判決は、「砂川事件」判決だけです。そこでは、憲法前文にある「国民の平和的生存権」も根拠として、憲法第9条によって日本固有の自衛権は否定されたものではない、としています。その上で、「我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」であるとしました。

【参考】砂川事件
 憲法第9条と自衛権との関係についての考え方を示した、唯一の最高裁判決が出た事件です。
 1957年、米軍立川飛行場拡張に反対するデモ隊が乱入し、日米安保条約に基づく刑事特別法違反として起訴されたものです。東京地裁は駐留米軍が憲法第9条違反だとして無罪としましたが、最高裁は、外国軍隊は戦力に該当しないとして差し戻しました。

砂川事件最高裁判決(関連部分抜粋)

 平和安全法制の審議では、「日本国が自衛権をもつ」という中に集団的自衛権の行使まで認められるか?が大きな論点になりました。
 「自衛権」には、個別的自衛権と集団的自衛権が含まれます。国連憲章には、国連加盟国に個別的又は集団的自衛の固有の権利が定められていますし、日米安保条約にも「(日米)両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認(する)」、と規定されています。
 一方で、政府は集団的自衛権に関して、1972年(昭和47年)に見解を示しています。
 この政府見解では、

  • 日本国憲法が、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」
  • しかし、憲法は、「自衛のための措置を無制限に認めているとは解されない。」「それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。」

としています。
 これが、これまでの憲法第9条の解釈の「基本的な論理」です。

 すると、「必要最小限度の範囲」とはどのような範囲なのか、が問題になります。1972年当時、「集団的自衛権」とは、他国を防衛するためのものだ、と考えられていました。そのため、72年の政府見解では、およそ集団的自衛権は、必要最小限度の範囲を超えるもの、としていました。

 では、「72年当時」とはどういう時代だったでしょうか。ニクソン大統領が訪中し、米中国交回復の方針を決めた年です。この年、田中総理も訪中しました。沖縄返還も72年でした。すなわち、それ以前は、尖閣諸島は米国の施政権下にあり、そこへの中国公船の侵入など想定できない時代でした。また、北朝鮮による核開発やミサイル開発なども考えられない時代です。さらに、この頃は、軍事技術も現在と全く異なっていました。それから40年以上が経過した今、「当時」の情勢認識に従って、日本人・日本国の防衛政策を考えてよいものでしょうか?

 憲法の基本論理を維持することを前提とした上で、大きく変化した実態上の要請にこたえることが、どこまで法的に許されるのか、との観点から、今回の平和安全法制は構成されています。

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平和安全法制における集団的自衛権に関する法論理

 今回の平和安全法制では、「必要な自衛の措置」がとれる場合に関して、以下のような考え方に立っています。

  • 「日本に対する武力攻撃が発生した場合」のみならず、
  • 「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」についても、
    • これを排除し、日本の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、
    • 必要最小限度の実力を行使すること
  • は、憲法第9条の解釈の「基本的な論理」に基づく「必要な自衛の措置」として、憲法上許容される。

 この考え方は、1972年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理を維持するものです。
 ただ、72年以来の40年以上の間において、国際情勢は変化しました。現在では、日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した場合においても、そのままでは、すなわち、その状況のもと、武力を用いた対処をしなければ、国民に日本が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻・重大な被害が及ぶことが明らかな状況があり得ます。このような状況では、「日本に対する武力攻撃の発生」と同様に、「自衛の措置」をとるべき事態として扱わなければならない可能性が生じています。
 こうした事態における実力行使は、国際法上は、国連憲章で認められている「集団的自衛権」の一部分に該当します。しかし、平和安全法制では、これを全面的に認めるわけではなく、あくまでも、「日本を防衛するため」のやむを得ない自衛の措置として初めて許容される、限定的なものです。他国を守ることそのものを目的とする集団的自衛権の行使は、引き続き認められません。
 これは、72年の政府見解に言う「必要最小限度」を超えないものとなります。従って、平和安全法制は72年政府見解の論理の上にあるわけです。

新三要件の従前の憲法解釈との論理的整合性について (108KB)

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関連リンク

 本特集ページでは関連する点を横串的に採り上げましたが、外務省、防衛省、海上保安庁、国家安全保障局、PKO事務局など各省庁のHPで、それぞれの角度から詳しく説明しています。

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