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南相馬市の手探りの挑戦
~まちづくり・健康管理への積極的な市民参画~

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  今年も南相馬市では、千年以上の歴史を有する相馬野馬追(そうまのまおい)が壮大に行われ、市民の皆様の郷土に対する誇りと、震災に負けない復興への気概が示されました。
  今回は、この南相馬市の復興に向けた営みについて筆を取りたいと思います。 まちづくりや健康管理を行政任せにせず、市民の方々自身が積極的に参画しているという点で、手探りではあるものの、特筆すべき挑戦だと感じています。
  言うまでもなく、南相馬市に限らず各地域のコミュニティも、復興に向けてそれぞれ大変な努力をされているわけですが、私の見聞による一例としてここにお示しします。

南相馬市の被災状況

  南相馬市は、平成18年1月に一つの市と二つの町が合併してできた市です。東日本大震災では、それぞれの地域が地震、津波の深刻な被害を受けた上に、それに追い打ちをかける形で東京電力福島第一原発事故による被害を受けました。その被害は甚大で、死者1,067人(うち震災関連死431人)、負傷者59人にのぼります。また、全世帯数23,898世帯の2割に当たる4,425世帯が全壊、半壊などの住宅被害を受けました。
  原子力災害については、事故翌日の平成23年3月12日に半径10km圏内、同日続いて半径20km圏に避難指示が出され、次いで3月15日には30km圏内に屋内退避の指示が出されました。このため、多くの市民が集団避難や自主避難を余儀なくされました。さらに4月22日には、半径20km以内は「警戒区域」、半径20km以遠で事故発生から1年内の積算線量が20ミリシーベルトに達するおそれのある区域は「計画的避難区域」、半径20km~30km圏内の計画的避難区域以外の区域は「緊急時避難準備区域」と、一つの市の中に3つの避難の区域が設定された上、さらに「特定避難勧奨地点」も設定される異常事態となりました。
  その後、9月30日に「緊急時避難準備区域」が解除され、多くの市民が避難先から帰還するようになりました。半年後の平成24年4月16日には、「警戒区域」及び「計画的避難区域」が、「避難指示解除準備区域」、「居住制限区域」及び「帰還困難区域」の3区域に見直され、市内の多くの地域へ自由に立ち入れるようになり、本格的な帰還に向けた準備が始まりました。
  それ以後、避難区域設定の変更は行われず、現在でも南相馬市には3つの避難区域があります。そのため、市民の方々が置かれている立場や生活環境もそれぞれに異なり、行政には市民に対する多様できめ細かい対応が求められています。

まちづくりへの積極的な市民参画

  こうした状況の中、今日に至るまで市民の皆様は、行政や様々な支援団体と一丸となって筆舌に尽くせないほど多くの困難を乗り越えてこられました。
  チェルノブイリ原子力災害からの復興では、市民が健康管理や復興プロセスに主体的に取り組み、意思決定に参加できる環境を整備する重要性が指摘されていますが、南相馬市での取り組みはまさにそれを模索した活動と言えます。
  南相馬市では、合併前の1市2町を基盤とした地域協議会が組織されており、ここでは、各種団体、例えば農協や漁協、商工会、PTA、女性団体連絡協議会、行政区長会などからの推薦者や有識者、さらには公募された委員を含む多様な市民委員が、復興や地域の課題について意見交換を行っています。地域協議会は、市が作成した「南相馬市復興計画」の立案にあたっても、それぞれの地域の復興計画に主体的に関わってきました。そこでは、市民の方々の意見を反映すべく行政とのキャッチボールを行われ、市民と行政が一体となった取組みが伺えます。
  そして、その様子が最も顕著に表れている取組みが「南相馬市小高区再生まちづくりセミナー」です。小高区は半径20km圏内に所在し、現在、帰還困難区域、居住制限区域、及び避難指示解除準備区域が設定されている地域です。「小高区の再生は、南相馬全市域の復興の第一歩となる」というかけ声のもと、このセミナーが企画されました。
  セミナーでは、ゲスト演者の復興に関する様々なお話を伺った後、ワークショップの形式で市民同士の自由な討議や意見交換の場が設けられており、「自分達の町は自分達の手で復興させるのだ」という気概を持った市民の方々がまちづくりのビジョンを語っています。

健康管理への積極的な市民参画

  原子力災害後の健康管理では、放射線を可視化し、放射線防護とリンクした健康管理を進めることが非常に重要です。放射線防護では、「ALARAの原則(As Low As Reasonably Achievable.-合理的に達成できる限界まで、低く保たなければならないという原則)」に基づき、除染などによる被ばく線量の低減化が図られる必要があります。
  そのため、まずは放射線を可視化させるために、被ばく線量の測定や環境放射線等のモニタリングが不可欠ですが、同時にこれらの数値情報を具体的な健康管理に活用することが重要です。南相馬市では、市民と一体となって、これらの面でも積極的に取り組まれています。
  空気中の放射線の測定から始まり、水道水、農産物、農地土壌、学校関係では学校・保育所給食、プール等の学校施設等、学校敷地、通学路等、さらには、飲料用井戸水や自家消費の食品等に至るまで、市民の方々も参加して丁寧に測定が行われており、市民の放射線防護や健康管理に役立てられています。
  また、個人の被ばく線量については、WBC(ホール・ボディ・カウンター)による内部被ばく検査に加え、外部被ばく線量を測定するためのガラスバッチを市民の方々に配布し、放射線防護の手段としています。今後は、こうした放射線モニタリングシステムをさらに充実させると共に、個人の被ばく線量と、県が推し進める「県民健康管理調査」で推定した被ばく線量を統一したプラットホームで管理し、健康管理にいっそう役立てていくことが課題となります。

南相馬市立病院の取組み

  「市民参画」とは別の話になりますが、原発事故後の南相馬市立総合病院の機敏な対応は、特筆すべき目覚ましいものでした。医療スタッフが減少し、医療資源も不足した厳しい環境の中で、市民の命を守るための地域の拠点病院として何をなすべきかが厳しく議論され、診療体制の早急な立て直しが実現しました。同時に、不安にさらされている市民のためにいち早く内部被ばく検診も開始しました。市民への奉仕を基本に据えた理念に基づくアクションでした。
  このような対応が出来たもう一つの要因は、市民のために外部からの支援を幅広く受け入れたことです。
  内部被ばく検診では、坪倉正治先生をはじめ東京大学から派遣された医師たちが大きな力を発揮しました。市民の不安に寄り添った、科学的根拠に基づいた内部被ばくの説明は、過剰な不安を低減させるのに大きな力となりました。
  また、理学療法士が不足していたため、広島大学の教員が全国の理学療法士に呼びかけた結果、呼びかけに応じた理学療法士たちが平成23年10月から平成24年4月末まで病院の理学療法を支えました。また、広島大学からの研修医の派遣も実施されており、今後も長期的な展望での医師等の派遣も計画されています。
  これ以外にも南相馬市立総合病院には、多くの貴重な外部からの支援が寄せられ、病院側はそれらをオープンな体制で受け入れました。

南相馬市と広島大学との連携

  最後になりますが、南相馬市と私が副学長を務める広島大学は、平成25年8月30日に「包括的連携協力に関する協定」を締結しました。それ以前も広島大学では、環境放射能の測定や南相馬市立病院との連携など様々な形で支援活動を行ってきましたが、この協定によって今後さらに情報交換を密にするとともに、新規の連携事業を推進していく原動力になるものと期待されます。
  この協定を契機として、私たち広島大学としても、市民の方々の健康と生活を守りながら復興に全力で取り組まれている南相馬市の手探りの挑戦に対して、いっそう役立つ活動をしていく決意です。

神谷研二
福島県立医科大学副学長
広島大学副学長(復興支援・被ばく医療担当)

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