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デジタル・ネット時代における知財制度専門調査会(第6回)
議事録

  1. 日時:平成20年7月29日(火)15:00〜16:30
  2. 場所:知的財産戦略推進事務局内会議室
  3. 出席者
    【委員】 中山会長、上野委員、大谷委員、大渕委員、音委員、加藤委員、上山委員、北山委員、苗村委員、中村委員、宮川委員
    【参考人】 島並参考人、奥邨参考人
    【事務局】 素川事務局長、内山次長、関次長、小川参事官、大路参事官
  4. 議事:
    • 権利制限の一般規定(日本版フェアユース規定)の導入について
    • (参考人ヒアリング)
      ・島並  良 神戸大学大学院法学研究科教授
      ・奥邨 弘司 神奈川大学経営学部准教授

○中山会長 それでは、時間でございますので、ただいまから第6回のデジタル・ネット時代における知財制度専門調査会を開催いたします。
 本日は、お暑いところお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。
 まず、審議に入る前に、事務局に人事異動がございましたので、ご紹介をお願いいたします。

○素川事務局長 私のほうから7月11日付の事務局の人事異動をご紹介したいと思います。
 松村次長にかわりまして内山次長でございます。

○内山事務局次長 内山でございます。よろしくお願いいたします。

○素川事務局長 同じく吉田次長にかわり、関次長が就任しております。

○関事務局次長 関でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

○素川事務局長 山本参事官にかわり、小川参事官でございます。

○小川参事官 小川です。よろしくお願いします。

○素川事務局長 以上、ご紹介させていただきました。ありがとうございました。

○中山会長 それでは、審議に入りたいと思います。
 本日は前回に引き続きまして、権利制限の一般規定、いわゆる日本版フェアユース規定に関する議論を進めてまいりたいと思います。
 まず、本日参考人としてお呼びしている方々をご紹介申し上げます。
 神戸大学大学院法学研究科の島並教授です。

○島並参考人 島並でございます。よろしくお願いします。

○中山会長 それから、神奈川大学経営学部、奥邨准教授です。

○奥邨参考人 よろしくお願いいたします。

○中山会長 本日はよろしくお願いいたします。
 本日は参考人の方々からそれぞれご説明をちょうだいした後、参考人の方々との意見交換などを通じてフェアユース規定の議論を深めてまいりたいと思います。
 まず、事務局から説明をお願いいたします。

○大路参事官 それでは、私から資料1に沿いまして、これまでのフェアユースに関するご意見の内容につきましてご説明させていただきたいと思います。
 この意見の概要、資料1でございますけれども、前回お配りしておりました検討の視点という資料がございまして、これは資料の一番最後のところに参考資料として配布をいたしておりますけれども、こちらにおいてお示しをした枠組みに沿って、今まで出てきたご意見を概略整理をさせていただいたものでございます。
 まず、1.権利制限の一般規定の必要性についてでございます。
 前回の作業におきましては、フェアユースの導入につきましては、大きな異論はないということで整理をしていただいたところでございますけれども、そうした議論の過程におきまして出されたご意見の概要をまとめたものがこちらの部分でございます。必要性と留意事項というふうに分けて示しているところでございます。
 まず、必要性に関するご意見といたしまして5点ございます。
 1点目、新規事業や新たなサービス創出にとって萎縮効果を排除する観点から必要ではないかという意見、それから2つ目として自らリスクをとって創造的な試みに挑戦できる環境作りとして不可欠ではないかという意見、3つ目として将来予期できない技術進歩に迅速に対応するために必要ではないかという点、4つ目として写り込み等、インターネットによって新たに生じたような問題への対応のために必要ではないかという点、それから5点目として公共的な利益確保の観点から、今まで行われていなかった行為を新たに可能にするという観点から必要ではないかというふうなご意見が必要性に関する意見としてあったのではないかというふうに思っております。
 一方、留意事項といたしましては4点ほど挙げておりますけれども、1点目、個別規定の改正、裁判所の柔軟な法律解釈により対応が可能ではないかというふうな点、2点目として日本人の法意識等に照らしてうまく機能するのかという点、3番目としましては過大な期待をかけるべきではないのではないかというふうな点、4点目として法体系全体、諸外国の法制とのバランスの問題についても考慮する必要があるんではないかといったような留意事項かと思います。
 2.といたしまして、仮に一般規定を導入した場合の論点についてでございますけれども、(1)の一般規定の趣旨という点につきましては、フェアユースを入れる趣旨として、そもそもその趣旨を防御的なものというふうに位置付けるのか、あるいは攻撃的なものとして位置付けるのか、このあたりの見極めとそのことによって規定振りがどのように変わってくるのか、あるいは変わってこないのかというようなことでございます。
 続いてめくっていただきまして、(2)でございますけれども、条件整備に関するご意見といたしまして、ガイドラインのこと、それからADRの充実といったような条件があるのではないかというふうに思います。
 (3)一般規定と個別規定との関係についてでございますけれども、まず1つ目でございますが、裁判所における審理の観点からというご意見でございますが、個別具体的・限定的な規定があるほうがやりやすいのではないかというご意見があったということと、2つ目のご意見として、その上に立って、一般規定を置く場所といたしましては、個別規定の末尾のところに受け皿規定として置くほうがいいのではないかという意見、このあたりの点に関しましてのご意見はおおむね一致をしているものではないかというふうに考えているところでございます。
 最後に(4)でございますけれども、一般規定の具体的な規定振りについてでございますけれども、一般規定を置くといたしましても、何らかの限定をかけるために、ある種の考慮要素を置く必要があるのではないかという点でございますけれども、例えばそこに記載してありますとおり、何々に照らしてやむを得ない、あるいは何々に照らして公正と認められるようといったような記述でございますとか、あるいは著作物の性質、あるいは利用の目的や対応といったような考慮要素が考えられるのではないかというふうなご意見があったところでございます。
 私からの説明は以上でございます。

○中山会長 ありがとうございました。
 それでは、神戸大学の島並教授からお話を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

○島並参考人 ただいまご紹介いただきました神戸大学の島並でございます。時間も限られておりますので、早速本題に入らせていただきます。
 レジュメの一「概要」に記載しましたとおり、本日の私の報告は著作権の制限に関する一般規定の導入を前提に、規定の望ましい在り方を検討するものであります。
 具体的には、一般規定と個別規定の選択は、著作権の制限に限られない広がりのある問題であると考えられますことから、まずレジュメ「二」におきまして、一般規定と個別規定の機能的な違いを明らかにし、その選択基準を示します。その後、レジュメ「三」におきまして、そこで示された選択基準を著作権の制限に当てはめるとどうなるのかを提示し、立法の方向性を探ることといたします。
 まず、二の1.「はじめに」ですが、個別規定と一般規定の違いを確認しておきたいと思います。
 個別規定とは、例えば道路交通規制における「時速50キロメートルを超えて走行してはならない」といった規定を指し、自然科学的知見から、あるいは社会常識から客観的に判断できる要件からなる規定であり、その特徴は当該規範の名あて人である当事者による行動の是非を、国会が、一般的かつ当事者の行動の前に事前的に決定するという点にあろうかと思います。
 これに対しまして、一般規定とは、同じく道路交通規制における「安全を害する危険な速度で走行してはならない」といった規定、すなわち規範の適用主体による評価的な判断が介在する規定であり、その特徴は当該規範の名あて人である当事者による行動の是非を、裁判官が、速度や天候や時間帯や通行量などといった四囲の状況をかんがみて、アドホックかつ当事者の行動の後、事後的に決定するという点にございます。
 先日の著作権法学会で私は、前者をルール、後者をスタンダードと呼びまして、米国における法と経済学の議論をご紹介したわけですが、本日は本調査会におけるこれまでの用語に従いまして、個別規定、一般規定という用語を用います。
 さて、個別規定と一般規定はいずれかが常に優れている、望ましいというわけではありません。もちろん個別規定のほうが当事者にとっての明確性の点では望ましいわけですが、ここで改めて権利濫用や過失といった概念を持ち出すまでもなく、現行法上既に様々な規範的要件が置かれていることからもわかりますとおり、一般規定にも柔軟性というメリットがあるわけでございます。
 両者の選択基準については、よく明確性・法的安定性と柔軟性・具体的妥当性のいずれを重視するのかという次元で議論がなされますが、しかし残念ながらどのような場合に法的安定性を重視するのか、またその逆はどうかという次元まで踏み込んだ議論はなかなかされません。
 一般規定のほうが常に望ましいとは言えない以上、一般規定の導入を考えるに当たっては、まず個別規定と一般規定が機能的にどのような違いを持つのか、そしてどのような条件のもとでいずれが社会的に望ましいのかについて、きちんと認識しておく必要があるように思います。
 そこで、米国での議論を踏まえて、両者の違いを結論だけ図式化いたしますと、レジュメ1ページ下の表のようになります。すなわち個別規定においては、具体的規範の内容、例えば制限速度が時速50キロメートルであることが国会での立法段階で確定され、当事者はそれを前提に行動すること、例えば自動車で走行することが可能です。その上で、裁判所では裁判官による法創造を経ることなく当該規範が適用され、客観的に時速50キロメートルを超えていたかどうかで当事者の行動の是非が判断されることになります。
 これに対しまして、一般規定においては、国会の立法段階では抽象的な規範の内容、例えば危険走行の禁止が設定されるだけであり、当事者は具体的に何が危険と判断されるかはわからないまま行動することになります。その上で、裁判所では例えば人の往来の激しい生活道路において、雨の中、夕方の5時にライトを点灯せず、時速40キロメートルで走行することが危険であるのかどうかという具体的規範が、裁判官によってアドホックに決定され、それを当該当事者の行動に適用することになります。
 以上の図式からわかるとおり、個別規定と一般規定の違いは2つあります。すなわちまず第1に、具体的規範の決定主体が個別規定では国会であるのに対して、一般規定では裁判官であるという違いであります。また第2に、具体的規範の決定時期が規範の名あてされる当事者による行動時を基準として、事前か事後かという違いがあります。
 ここでご留意いただきたいのは、最終的に決定された具体的規範の内容に関する優劣は、個別か一般かという規範の形式の優劣とは次元の異なる問題であり、両者は分けて考えなければならならないという点です。換言しますと、具体的規範の内容を所与のものとした上で、なお個別か一般かという規範の形式について優劣を論じ、また選択基準を検討することは可能であり、かつ厳密な議論をする上ではそれが望ましいと思います。
 例えば、一般規定の優れた点として具体的妥当性がよく挙げられますが、その場合、個別規定では硬直した規範による過剰規制や過少規制によって、一般規定よりも不当な結論が導かれるということが含意されているように思われます。しかし、それは個別規定という形式をとるがゆえのデメリットではなくて、個別規定の定める適用条件のきめが粗いことによるデメリットであります。一般規定であっても、そこで考慮される諸条件のきめが粗い場合には結論の具体的妥当性は担保されません。つまりきめの細かい個別規定ときめが粗い一般規定とを比べていずれが具体的に妥当な結論を導き出せるかは、一概には論じられないことになります。ここでは規範の形式と内容は相互に関連しつつも、実は異なる次元の問題だということを強調しておきたいと思います。
 では、さらに進んで規範の決定主体と決定時期の違いから、何を基準として個別規定と一般規定を選択すべきだということになるのでしょうか。
 まず、決定主体について検討いたします。規範の決定主体が国会であるか、裁判官であるかという違いは、要するに、国会における民主的な多数決によって規範の正統性を担保するのか、それとも裁判官、すなわち難しい司法試験を優秀な成績で突破し、その後も法適用の訓練と経験を積んだ専門家の正義感情や良心によって規範の正統性を担保するのか、という問題であります。これは換言すれば、国会と裁判官のどちらがつくった規範を国民が信頼するのかという問題でもあります。そうすると、少数者や、たとえ多数であっても意見集約が困難な人々の利益を保護すべき場合には、多数決原理で是非を決するのはよろしくないものですから、個別規定よりも一般規定のほうがより望ましいということが、一般論としては言えると思います。
 また、国会と裁判官とでは決定された規範の正統性の問題以外にも、規範の決定プロセスにおいて、決定に要する情報をだれがどうやって収集するのか、つまり情報収集コストをだれが負担するのかという点も異なります。個別規定の場合は、当該規範を所管する専門官庁が、時には審議会等において専門家の意見を参考にしつつ、立法事実を調査することになります。また、その過程では様々なステークホルダーによるロビイング活動を受けることで、正しい情報が吸い上げられることもあれば、同時に誤った圧力が加わり情報がゆがむおそれもあるわけです。
 これに対して、一般規定の場合は紛争当事者、より具体的には主張立証責任を負った当事者による個別の訴訟活動を通じて、規範決定に必要な情報が集められます。そして、裁判官は独立しておりますので、少なくとも理念的には紛争当事者以外のステークホルダーからの圧力によって、情報のゆがみが生じるおそれは少ないということになります。そうだとしますと、紛争当事者が規範形成のコストと責任を負い得る場合には、一般規定のほうが個別規定よりも望ましいということが、一般論としては言えましょう。
 逆に、例えば産業政策上の考慮を加味して決定される事項については、個々の紛争当事者から寄せられた限られた情報をもとに、一裁判官が判断するよりも、個別規定によって官庁や国会といった政治部門に規範形成を委ねたほうが望ましいわけであります。
 続いて、規範の決定時期について検討します。規範の決定時期が当事者の行動よりも前か後かという点は、行動の主体である当事者にとっての規範「認識」コスト、及び規範決定主体である国家にとっての規範「決定」コストという2種類のコストに影響があります。
 まず、国民にとっての規範認識コストは通常、個別規定のほうが一般規定よりも低くなります。なぜなら、個別規定の場合は既に事前に規範内容が確定しているわけですから、行動に際しての規範認識コストは法令を知ることに要するコストに限られるのに対しまして、一般規定の場合はそこからさらに裁判官によっていかなる具体的規範が形成されるのかを予想するコストや、また時に、(こちらのほうが重要かもしれませんが)予想が外れることによって生じるコストを、当事者自身が負担する必要があるからです。
 ただし、個別規定についても原則ルールに対する例外ルール、そしてそのまた例外の例外ルールといった具合に、規範の内容が複雑化すればするほど、国民にとって内容がわかりにくくなるわけですので、規範認識コストは増していきます。事前に具体的規範が示されるといっても、それが複雑化すると要チェック項目が増える結果、個別規定の相対的優位性は徐々に失われることになります。
 他方で、一般規定につきましても裁判官が創造する具体的規範が当事者の直感や社会規範に合致すればするほど、予想に要するコストは少なくて済みます。裁判官が、理論的にはともかく、素人目にも座りのよい解決をしてくれるのであれば、当事者は誤った予想がもたらすコストを負わなくて済むわけです。
 また、一般規定の適用射程が限られていれば、それだけ当事者にとって予測がしやすくなります。例えば、自己の行為が権利濫用に当たるかどうかは余りに適用射程が広過ぎて容易には判断できませんが、学校教育現場において教師と生徒が教育課程で使用する場合といった具合に、適用局面が限定されてまいりますと、そこから先の規範が「著作権者の利益を不当に害しない程度」という一般規範であったとしても、結論を予想することに要するコスト、また予想を誤ることによるコストはいずれも相対的に低下していくことになります。
 以上から、国民の規範認識コストという点では、通常は個別規定のほうが望ましいのだけれども、正しい社会規範の形成が見込まれる場合や適用場面が限定される場合には、それだけ一般規定が許容される度合いが高まるということが言えようかと思います。
 最後に、国家にとっての規範決定コストを見ますと、立法段階では個別規定のほうが様々な立法事実を収集しなければならないので高いのに対して、適用段階ではその時点で規範を設定する必要に迫られる一般規定のほうがコストが高くなります。国会も裁判所も国家機関ですので、規範決定のコストを負担する主体という観点からは両者に有意な違いはないのですが、具体的規範を先にあらかじめ定めておくのと、その決定を後送りにするのとを比較して、どちらが国家にとってトータルコストが安く済むのかがここでは問題となります。その結論を要約すれば、規範の適用頻度が低い場合には、そのような場合を想定してあらかじめ国会で規範を定めておくのは無駄であり、紛争が生じた時点で裁判官がその都度個別的に判断したほうが安価で済みます。
 これに対して、頻繁に起こる事象につきましては、それらに適用される規範をあらかじめまとめて決定しておいたほうがかえって安価になります。そして、規範の適用頻度の高低は、規範が適用される事案が発生する頻度と並んで、その事案の個性がどれだけ強いか、そして時代による変化がどれだけ大きいかによって決定されます。つまり同じような事案が頻繁に起こり、またそれが事案ごとの個性の弱い典型的紛争であり、さらに時を経ても繰り返される場合には、個別規定によってあらかじめ一括して規範を定義しておくことがトータルコストの節減に繋がります。
 逆に、例えば新たな技術が開発される速度の速い分野では、紛争がすぐに古びてしまいますので、せっかく規範を定義しても、その適用頻度は減らざるを得ません。そのような場合には、規範決定コストという観点からは、わざわざ個別規定によって立法段階でそれを支払うよりも、一般規定によって適用段階でそれを支払うほうがトータルとしては無駄がないということになります。
 以上、見てまいりました個別規定と一般規定の選択基準に関する一般論を前提に、レジュメ3ページではそれを著作権の制限規定に当てはめるとどうなるのかについて、若干検討を行いたいと思います。
 まず、現行法が既に置いている権利制限規定について、一般規定が望ましい事項と個別規定が望ましい事項の類型化をしてみたいと思います。レジュメ4ページ以下にすべての権利制限規定を列挙しておきましたので、それをご覧になりながらお聞きいただければ幸いです。
 一般規定が望ましいと考えられる筆頭は、レジュメ丸1障害者の著作物アクセスの機会を保障するための規定、すなわち32条の2、37条、37条の2といったものです。これらは障害者という少数者の利益を保護するための規定であり、その内容を多数決で決することは必ずしもふさわしくありません。どんな人がどんな場合にどんな利用を求めているのかを個別規定であらかじめ国会で決めておくよりも、一般規定で障害者保護という理念を示した上で、具体的事案に即した解決を裁判所にゆだねるのが望ましいと考えられ、その点で現行法の規定は個別に過ぎると私は思います。
 また、レジュメ丸2個人の私的な活動の自由を保障するための規定、すなわち30条、32条、38条、46条といった規定も個々人の意見を国会で集約することは困難であり、また私的活動の内容は定型性が低く、各々が強い個性を持っていると考えられますので、裁判官の裁量的な規範形成にゆだねるほうが望ましいのではないかと考えます。
 さらに、レジュメ丸3コンピュータの使用等の社会的な有益な活動に対して、技術上のテクニカルな制約から不可避的に随伴する著作物の利用を認める規定、すなわち47条の2、47条の3、さらには現在文化庁で議論されている機器使用時や通信過程での著作物利用を認める規定については、技術変化の波を常に受けますので、ある技術状況を前提とした規範を固定すると、その適用頻度は相対的に低くならざるを得ず、したがって一般規定で柔軟性を確保したほうがより望ましいと考えられます。ただ、この柔軟性は、今後新たに出てくる技術の使用に伴う著作物利用を柔軟に許すという側面と、技術的保護手段のような新技術の登場によって著作物利用の回避が可能となれば、逆に利用を柔軟に禁止するという方向でも作用する点に、留意が必要かと思われます。
 最後にレジュメ丸4社会的に必要な国家活動や民主主義の維持促進に役立つ報道活動の円滑化のための規定、すなわち39、40、41、42条といった規定については、当事者である国家やマスコミといった権力主体が自らコストや責任を負担することが可能であり、またそれがふさわしい主体ですので、一般規定という大枠のもとで、具体的規範の決定については自ら裁判においてその活動の社会的有用性等を主張立証するべきであろうと思います。
 もっともレジュメ4ページ以下に○で示しましたとおり、現行法の規定にも「必要と認められる限度」や「著作権者の利益を不当に害しない」といった一般性の高い要件、すなわち規範的要件が少なからず含まれておりますので、それに加えてさらに一般規定化することの是非が、今後は論じられなければならないと思われます。
 ところで、レジュメ丸5特定の事業主体の活動を保護するための規定、すなわち31条の図書館、33条の教科書出版社、34、44条の放送局、さらにはこれも文化庁で議論されている検索エンジンサービス提供者を保護する規定などは、要するに著作権者の利益確保と事業活動の自由をどこで折り合いをつけるかという政策的な調整問題であり、また繰り返し何度も行われる定型性が高い行動を前提としておりますので、個別規定による国会での事前規範決定がふさわしいと考えられます。
 また、レジュメ丸6の45条や47条に定められた所有権との調整規定につきましても、定型性が高く、また規範決定されていること自体に意義がある調整問題だと思われますので、個別規定であらかじめ規範の内容を明確にしておく必要があろうかと思います。これら丸5や丸6について、個別規定が望ましいとするならば、各規定に規範的要件を増やすことは避けるべきであるだけでなく、せっかく置いた個別規定を上書き、オーバーライドする受け皿的一般規定での権利制限もまた避けるべきであるということになります。
 最後に、レジュメの2で、いわゆる各事項を越えた大一般規定を受け皿規定として置くことの是非を検討しておきたいと思います。
 すなわち今までに見てまいりましたのは、既に立法され、あるいは問題状況が認識されている事項について、規範形式を個別と一般のいずれにするかということでありました。ここからは、そうではなくて全く新たな、しかし問題状況が未だ見えない事項に備えて、一般規定をもって対応しておくべきかという問題であります。この点について、積極、消極の両方の考え方があることはレジュメに記載のとおりであります。
 実はよく考えますと、この問題は個別か一般かという規範「形式」の選択問題ではありません。なぜなら、現在において想定外の全く新しい事項については、個別事項での救済は定義上できないからであります。したがって、この問題はそのような不測の状況において著作権を制限すべきかどうかという、規範「内容」の選択問題だと考えられます。これは最終的には法理論というよりも政策的な決断の問題であると考えられますが、仮に日本版フェアユース規定を新たに置くとしても、次の2つの点に留意する必要があるかと思います。
 1つは、既存の権利制限規定をオーバーライドするものであってはならないということです。既存の権利制限規定は、個別規定にせよ一般規定にせよ、既に内容と形式についての利益調整を一応は終えているのであり、またもしそれが不十分で不都合が生じるのであれば、当該規定の中で改正を図ることが可能であるし、また予測可能性をできるだけ担保するためにはそうあるべきであると考えます。したがって、新たな日本版フェアユース規定は、既に規定がある事項についてのさらなる拡張的受け皿ではなくて、いまだ規定のない事項についてだけのあくまで補充的な受け皿規定であるべきだと考えます。
 留意点のもう一つは、日本版フェアユース規定を置いた後、問題状況が顕在化した時点で、できるだけ速やかに立法対応をすべきだということです。この立法対応が個別規定によるのか一般規定によるのかは、その事項ごとに、先に述べました基準に従ってまた改めて考えるということになります。したがって、日本版フェアユース規定は、立法対応が追いつかない場合に備えてのあくまでも過渡的なセーフティネットと位置付けられるべきだと考えます。
 また以上ご留意をいただいたような補充的かつ過渡的な対応を図るための規定であれば、それだけ規定の特定性や安定性が高まるわけですから、日本版フェアユース規定への消極論(条約適合性や法的安定性に対する懸念)への説得の材料にもなると思われます。
 私からは以上でございます。ご清聴ありがとうございました。

○中山会長 ありがとうございました。
 続きまして、奥邨准教授にお願いいたします。

○奥邨参考人 神奈川大学の奥邨でございます。
 資料2−2のほうをご覧頂きますようお願いいたします。
 本日はこのような機会をちょうだいして大変光栄に存じます。
 私は、現職に就く前は電気メーカーの法務部門において、デジタル・ネットワーク関係の著作権問題を担当しておりまして、その中で、フェアユース規定の重要性を経験してまいりましたため、研究者となった今も同規定の必要性を感じております。
 本日は事務局からのご依頼も踏まえまして、米国の裁判例を題材として、デジタル・ネットワーク時代の我が国に、日本版フェアユース規定が導入された場合に参考になろうかと考える幾つかの点について、ご紹介させていただきたいと思います。
 早速ですが、2枚目は本日の報告の構成となっております。
 続きまして、3枚目ですけれども、こちらには米国著作権法107条、いわゆるフェアユース規定についての私訳を載せております。このうち黄色くマーカーしております丸1から丸4までがいわゆるフェアユースの4要素と呼ばれるものでありまして、フェアユース判断において重視される部分であります。
 本日のご報告では、時間の都合と私の能力の関係もございまして、主として5つの裁判例をご紹介させていただきます。フェアユースが論じられる裁判例は枚挙に暇がございませんが、本日は現行米国著作権法制定後の最高裁判例3件とデジタル・ネットワーク関連で注目された裁判例2件を取り上げたいと思います。もっともいずれも教科書に載るような有名な裁判例でもありますし、諸先生方の前でのご報告は、まるでゼミでの発表のように非常に緊張してしまいますので、後の考察の前提として必要な範囲で簡単にご紹介させて頂きたいと思っております。
 まず5枚目、Sony事件でございますが、ここではVCRのユーザーがテレビ放送番組を家庭内で無許諾複製する行為がフェアユースに当たるか否かが判断されました。最高裁はタイムシフト、すなわちオンタイムで見られない番組を後で見るために録画することはフェアユースであるというふうに結論づけました。
 続きまして6枚目、Harper & Row事件でございますが、これはフォード元大統領の回顧録の出版を計画していたところ、その未発表原稿を手に入れたネーション誌が、スクープとしてその一部を雑誌に掲載したことがフェアユースに当たるか否かが争われた事例でございます。最高裁は商業目的の利用であること、また利用されたものが未発表であったことを重視して、フェアユースの成立を否定しております。
 続きまして7枚目、Campbell事件でございますが、映画の主題歌にもなったプリティウーマンという曲のラップバージョンのパロディがフェアユースに当たるか否かが争われた事例でございます。判決で最高裁は、商業的利用ではあっても変形的利用なので、フェアユースに当たるというふうに判断をいたしました。ここで言う変形的利用というのは、「新しい表現、意味、主張を加えて変化させ、さらなる目的、または性格により新しいものをつけ加えること」とされております。
 次に8枚目、Sega事件でございます。セガ社のゲーム機で動作するゲームプログラムを同社の許諾なく作成する、すなわち互換ゲームプログラムを作成するために、セガ社のゲーム機をリバースエンジニアリングした際に行われた複製行為がフェアユースに当たるか否かが争われた事例でございます。第9巡回区控訴裁判所は著作権法が本来保護しないアイデアを利用するために行われた複製であることを重視してフェアユースを認めております。
 続きまして9枚目、最後はPerfect10事件でございます。検索エンジンに関する裁判例はほかにもあるのですが、ここでは去年出されました判決を取り上げました。この事件では、Google社の検索エンジンが画像検索結果を表示する際に、サムネイルを作成・表示する行為がフェアユースにあたるか否かが争われました。同じく第9巡回区控訴裁判所は、検索エンジンでのサムネイルとしての利用は、異なる文脈での利用であって、変形的であるとしてフェアユースを認めております。
 10枚目をご覧ください。米国の著作権法学の一つの課題は、ここまでご紹介したようなものも含めまして、各種裁判例で示された4要素の解釈をいかに整合的に理解するかという点にあろうかと思います。例えば、Sony最判によれば、商業的利用の場合は不公正と推定されるが、一方で、Campbell最判を踏まえれば、Sony最判は逐語的複製の場合に当てはまる考え方であって、変形的な利用においてはそちらが重視されるというような形の整合的な理解でございます。
 もっともフェアユースの判断は、この4要素に尽きるわけではありませんし、ケース・バイ・ケースの判断であるということも強調されておりますので、各裁判例を整合的に理解するという試み自体、疑問符がつけられる場合があることもまた事実であります。
 11枚目をご覧ください。フェアユース規定は市場の失敗を治癒するものとして位置付けられることもございます。経済学については、全く不勉強なもので、市場の失敗という概念を十分理解できていないのですが、ここでは「許諾を得ようとしてもそれが現実的ではない場合」ぐらいに置きかえて考えたいと思います。そのように考えますと、今までご紹介しました5つの事例はいずれもそう言えるのではないかと思います。
 ただ、許諾を得ようとしてもそれが現実的ではないという状況自体は、権利制限一般に当てはまる事情であって、個別規定か、フェアユースかという選択には必ずしも十分な根拠にはならないようにも思われます。
 さて、12枚目以降では、以上の裁判例の若干の分析を私見交えて述べさせていただきたいと思います。
 まず、ここまででとりあげたフェアユース関連の裁判例を、いわゆる4要素との関連ではなくて、適用場面から分類してみたいと思います。具体的には、表現の利用という観点と著作物の利用形態という観点から分類できるのではないかと思っております。
 まず、表現の利用の観点ですが、表現の利用そのものが目的であったHarper & Row事件やCampbell事件のような場合と、利用したいのは著作権が保護しないアイデアや情報であったものの、それらを利用するためには表現を利用せざるを得なかったというSega事件のような場合、すなわち表現の利用が付随的な場合とが考えられようかと思います。
 次に、著作物の利用形態の観点ですが、同じくHarper & Row事件のような伝統的、従来的な利用形態の場合と、家庭内での録画という新しい利用形態が登場したSony事件のような場合とに分けることができようかと思います。さらに、全体的な利用形態自体は従来型のものであるが、その一部にデジタル技術が用いられている場合、例えば検索エンジンのサムネイル表示のような場合が考えられようかと思います。この場合、デジタル技術を利用すると、キャッシュやバッファなどのように、何らかの形で複製が生じるという特徴がございます。
 13枚目の図は今申し上げた点を改めて図示したものであります。
 一般にフェアユースは、これまで想定できなかったようなケースに対処するものして理解されるわけですが、そこに言う想定外が意味するところをこの図も踏まえて改めて具体的に考えますと、例えば(E)のように利用形態自体が想定外である場合や、(D)のように本来は著作権が及ばないはずの行為に著作権が及んでしまうことが想定外の場合を意味しているのではないかと思います。逆に言いますと(A)のような場合は、個別規定での対処が不可能ではないと言いますかむしろ、個別規定による対処が十分可能な場合ではないかと思います。
 データネットワーク技術のさらなる進歩で、今後も(D)や(E)、さらには(F)のような想定外の状況に直面するであろうことは容易に予想されますので、その意味でもフェアユース規定の必要性は少なくないと思われます。
 ところで、想定外ゆえにフェアユース規定が機能した事例についても、一旦判決が下されるまでの状況になれば、もはや想定外ではないわけで、以降は、個別規定による対処が可能ではないかとも思われます。
 そのような視点から、さきに挙げた裁判例のその後を示したのが14枚目になります。
 網羅的なものではないので、ここから一般的傾向を読み取るというようなことはできませんが、我が国にフェアユース規定が導入された後のフェアユース規定と個別規定の関係を考える上で、何かしら役に立つのではと考えた次第であります。
 まず、ご覧いただいてわかりますように、フェアユースを認める判決が出た後、その点について特段立法的手当てがなされていない例としてSony事件やSega事件などが挙げられます。
 なぜ立法的対処がなされないのでしょうか。この点、米国は判例法の国であるからというのが一つの有力な答えであろうと思いますが、15枚目ではSony最判を例にそれ以外の理由を考えてみました。
 Sony最判は図の丸2の部分、すなわちタイムシフト目的の録画がフェアユースに当たると判断しただけで、例えば丸3の部分、すなわちライブラリ目的の録画については結論を示していません。結果、仮にSony最判の判示を立法化しようとすると、丸3の部分をどうするかという議論をしなくてはいけないことになりますが、それが容易ではないだろうということは簡単に想像がつくわけです。この点、争点を絞り込んで事件の解決を目指すことを求められる司法過程と、広く関係者の利害を調整することが求められる立法過程の違いとが明らかになっている部分と言えるかもしれません。
 ちなみに、家庭内録音の分野は、この課題に取り組むことになったわけですが、時間の関係もございますので、この点の説明はとりあえず省略させていただきます。
 次に、フェアユースの適用が認められた後に、立法的対応がなされたケースに触れたいと思います。
 さきにご紹介した裁判例中には適当なものがなかったのですが、一例として図書館における複写サービスに関する事例をご紹介いたします。18枚目をご覧ください。
 国立研究所等の附属図書館での論文複写サービスが問題となったWilliams & Wilkins事件では、フェアユースを認めた原審の判決を最高裁は4対4で意見なく支持するというきわどい状況でした。そのため、現行米国著作権法制定時に、非営利目的である場合に図書館が複写サービスを行える詳細な条件を108条に定めることになりました。
 1枚飛んで20枚目をご覧いただきたいのですが、判決によってフェアユースが認められた利用形態を丸1、緑の線とします。判決がどの程度の拡張性を持っているのかはいろいろと議論がありますでしょうから、フェアユースが認められるかもしれない利用形態の最大領域を丸2、緑の点線とすると、丸1と丸2の間が、いわゆる解釈の幅になろうかと思います。
 このとき、丸1よりも小さい範囲を個別規定化する。または丸2よりも大きい範囲を個別規定化するという選択肢も考えられますが、図書館複写サービス問題の場合は丸1と丸2の間、具体的には丸1よりも少し大きいぐらいの範囲で個別規定が立法化されたのではないかと思います。
 ただ、丸1の範囲のすべてがカバーできたかというと、カバーし切れていない可能性も考えられます。図で言えば赤の線であるとか、青の線のような感じになっている可能性です。実際、108条も、同条がフェアユースの成立に何ら影響を与えるものではないことを明記して、カバーできなかったかもしれない範囲に配慮しております。こういった配慮は将来我が国においても必要とされるかもしれません。
 今度は判決でフェアユースが否定されたことを受けて、立法的対応がなされた事例について触れたいと思います。さきにご紹介したHarper & Row事件に関連します。1枚戻って19枚目をご覧ください。
 同事件の最高裁判決の後、第2巡回区控訴裁判所で、「未公表の手紙」からの引用がフェアユースに当たるか否かに関して、「類型的」にそれを否定する裁判例が続き、その結果、伝記作家等に危機感が高まりました。そこで、著作権法107条、つまりフェアユース規定が改正され、「上記要素のすべてを考慮した上で、フェアユースであると判断された場合、著作物が未発行であるという事実は、それ自体では、フェアユースであるとの判断を妨げない」という一文が付け加えられることになりました。立法趣旨によれば、「類型的」アプローチを否定し、Harper & Row最判の趣旨を再確認するためであったとされております。
 また、1枚飛んで21枚目を見ていただきたいのですが、著作物の利用形態のうち、判決によってフェアユースに当たらないとされた部分を丸1、緑の領域としたとき、残りの部分、(A)とした白抜きのところはフェアユースに当たるだろうと解釈される部分ということになります。そしてその後の裁判例で(A)の部分の内部に、フェアユースには当たらないと判断される部分、図では丸2が示され、それが社会全体にマイナスの影響を持っている場合、それを取り除くような立法的対処が求められることになります。このとき(A)の境界を明らかにするという立法手法の選択肢もあろうかと思いますが、今回の場合は丸2を否定するという選択肢がとられ、(A)自体の境界確定は司法に任せるという形になりました。
 以上2例だけですれけれども、107条及び108条について見た限りでは、裁判所が一定の利用形態を直接または間接にフェアユースとした場合、その後立法措置が行われるとしても、可能な限り裁判所の判断を尊重する形になっていたと言えようかと思います。フェアユース規定は個別規定を補足する機能を果たす場合が少なくないわけですが、このように個別規定がフェアユースを補足するという関係もあり得るように思います。
 22枚目をご覧ください。フェアユース規定と個別規定との関係でもう一つ触れておきたいのは強制ライセンス等の問題です。
 米国の場合は技術的には裁判所が差止めを認めず、損害賠償のみを認めるということで、強制ライセンス的なものは実現可能なわけですが、裁判所がそれを行ってよいのかどうかについては、裁判例でも考えが分かれています。しかし、ライセンスの仕組みを運営するには使用料の見直しなどの継続的な関与を必要としますから、一般論として考えれば司法的解決よりは立法的解決およびそれに基づく行政的対処がよりマッチすると言えるように思います。米国著作権法に強制ライセンス、法定ライセンスの規定が多数存在するのも、その証左と言えるのではないかと考えます。
 23枚目からはSony最判の現代的意義について少し検討をしております。
 Sony最判のポイントとしては、まず逐語的複製であってもフェアユースとなる場合があることを示した点が挙げられると思いますが、より重要なのは、著作物の利用を可能とする機器を製造・販売する者が当該機器のユーザーによる著作権侵害に関して二次的侵害責任、具体的には寄与侵害責任を負う基準を明らかにした点にあります。
 Sony最判はVCRにタイムシフトのような「実質的なまたは商業的に意義のある非侵害的使用方法」が存在する場合、その製造・販売は寄与侵害とならない旨を明らかにし、VCR製造・販売の継続を可能としました。その結果、タイムシフトがフェアユースとされても、それを可能とする機器が入手できないという事態にはなりませんでした。これがSony最判の短期的な効果です。
 ところで、当初はテレビ番組の録画のために使われたVCRですが、普及が進むにつれVCRでの再生を前提とするパッケージビデオ市場が登場、拡大していくことになります。結果、長期的には権利者にプラスの効果を与えたわけです。もちろんこれは意図せざる結果であります。
 24枚目をご覧ください。デジタル・ネットワーク術は著作物を利用する技術と言っても過言ではない部分がございます。今や、著作物を利用するに際して、デジタル機器等を利用するのはむしろ当然の状況です。また、ブロードバンドネットワークの進歩・普及の結果、ユーザーの手元の機器ではなく、リモートに存在する機器等で著作物を利用し、その結果をネットワーク経由で表示可能とするサービスも珍しくなくなりつつあります。
 このような状況を前提にする限り、ある利用形態がフェアユースに当たるか否かという問題と、そのような利用形態を可能とする機器やサービスの提供行為等が法的にどのように評価されるかという問題とは相互に密接な関係を有しております。つまりSony最判が直面した問題は、今も重要な問題であり続けるわけです。
 もっとも、このような意味でSony最判の先駆性を改めて評価することは、Sony最判が示した解決策が現時点、そして将来においても手離しで適用可能なものであると肯定的に評価することとは別問題です。というのも、既に触れましたように、Sony最判は当時のVCRの使用状況のスナップショットに基づく判断の面が少なくなく、またそれがもたらした効果も、大いに偶然の側面があるからです。
 では、今後の時代にとって望まれる解決策とはどのようなものなのかという点に焦点が移るわけですが、この点は二次的侵害論等の議論になり、本日のテーマから離れますので、ここでは2点だけ関連する点をご紹介するにとどめたいと思います。25枚目をご覧ください。
 まず、第1にSony最判は、二次的侵害責任は直接侵害の存在を前提とするという原則のもとに成立しております。この点は直接利用者の行為が適法でも、規範的な利用主体の行為を侵害ととらえることを許容する、我が国のいわゆるカラオケ法理と異なる点です。
 ただ、米国においても二次的利用者の立場に立つことは簡単ではないようです。
 例えば、学生のリーディング・アサイメントを、あらかじめコピーしてコースパックとして用意していたコピーショップに関して、学生等のフェアユースを助けているというふうには理解せず、コピーショップ自身のコピー行為ととらえた上で、フェアユースの成立を否定した事例がございます。
 また、映画会社がリモートDVRサービスを提供した業者を訴えた事件の地裁判決では、カラオケ法理類似の論理で、業者を直接侵害者ととらえております。もっともこの事件では、裁判の過程で、業者はフェアユースの抗弁を主張しないということに同意しておりますので、多少特殊な事件ではあります。
 次に、第2点目として、Napster事件、Grokster事件等のネットワーク関連の事件は、侵害的にも非侵害的にも利用可能な機器についてのSony最判のルール自体には手をつけることなく事件を処理しました。そのため、今後もSony最判のルールが見直される可能性は残っております。その意味で、これからもこの点について米国の動向の注視が必要なものと考えます。
 最後に、今さらながらですが、著作権法制と技術革新の宿命的な関係について一言触れさせていただき、まとめにかえさせていただきたいと思います。
 著作権法制は登場のときから、新技術が開発され、新しい著作物の利用形態が登場して問題が生じるたびに見直されてきました。そしてその結果、新技術と新利用形態を前提とした、新しいコンテンツビジネスが安定的に発展する環境が整備されてまいりました。それは現在も変わっていません。
 ただ、技術革新のスピードが日々アップしている感がある現在、技術革新への対応の選択肢として、フェアユース規定がここに加わることには大きな期待を持っております。
 時間を超過しながら、余りまとまりのない内容になって申しわけございませんでした。本日はどうもありがとうございました。

○中山会長 ありがとうございました。
 それでは、議論に入りたいと思います。
 事務局、参考人の方々からの説明を踏まえまして、ご質問、ご意見をちょうだいしたいと思います。
 どなたでも結構でございます。ご意見を賜ればと思います。

○大渕委員 島並参考人が説明された資料2−1の関係で、少し確認だけさせていただければと思います。同資料の二で述べておられる一般的な理論をこの著作権の権利制限規定という文脈で当てはめるとどうなるかということで、3ページに書いておられますが、ご趣旨としては、要するに、新たに出てくる権利制限条項と、それ以外の既に法定された権利制限事項というように、まず大きく2つに分けて、2.で書いておられる大一般規定というのは、要するに新たに出てくるものだけを、立法技術でどうするかとかは別として、中身としては、新たに出てくるものについてだけ対象にして、既存のものはオーバーライドしないということに加えて、1.のほうでは、現在個別規定になっている権利制限事項、それは小一般規定にしようという、そういう意味では今はこれも言い出すと、規定の中にも包括的な要件があったりして話がややこしいんですが、そういう細かい話を除くと、要するに個別規定の中の一部のものを小一般規定に変えるということと、それ以外に大一般規定というのを入れるということであり、その大一般規定というのは、今ある個別規定はオーバーライドしないという点で、大一般規定の対象を絞り込んで、新たな権利制限事項に関するものに限定するのであって、今ある権利制限事項に関するものをこれからフェアユースで拾うということはしないと、そういうご趣旨なんでしょうか。

○島並参考人 おっしゃるとおりであります。
 前回の第5回議事録がまだ公開されておらず私はそれを拝見してないので、本調査会でどこまで議論が進んでいるのかちょっと理解していないのですけれども、仮に「その他これこれの要件を充たすときには、フェアなユースなんだから著作物を利用しても良い」という趣旨の規定を権利制限の一番最後に置くとした場合に、「その他」の意味が、既に権利制限規定が置かれている事項についてもせっかくのその規定をご破算にしてフェアユースとなりうるということであるならば私は反対でありまして、適用場面に制限のない大一般規定は、全く新たな事項について適用するにとどめるべきだと考えております。そして、従来の権利制限規定はどうするかというと、今、大渕先生がおっしゃっていただいたとおり、より一般規定化する方法が望ましい規定もあれば、個別規定のまま置いておくほうが望ましい規定もあると考えます。そしてそれを分ける基準はまさに本日お話しした、レジュメ2ページに書いてあるところでして、規範の決定主体と決定時期の観点から判断していくべきだろうと思います。つまり、大渕先生がおっしゃったとおりのご理解で結構かと思います。

○中山会長 ほかに何かございましたら。
 どうぞ、中村委員。

○中村委員 今のに関連しての確認なんですけれども、資料2−1の4ページ、5ページについて少し教えていただきたいんですが、これは○、●のついていないものは一般の規定に変えるという、そういう趣旨、それからもう一つは仮にそうだとして、立法形式としてもその○のところは○で束ねる、そういうイメージですか。

○島並参考人 今、2点ご質問いただいたかと思いますが、●も○もついていないところは、もう少し一般規定化したほうがいいだろう、柔軟性の高い要件を置いておくべきだろうと考えておりまして、今、中村先生おっしゃったとおりの理解でございます。
 2つ目の、○の規定を束ねるべきかについては、これはちょっと難しい問題でそこまではまだ考えが至っておりませんけれども、例えば障害者対応規定というのは、物によって○がついているものとついてないものがありますけれども、これは全体としてちょっと個別に過ぎると私は思っておりますので、もっと束ねた上での一般化というのはあり得るだろうと思いますし、他にも不必要に細かい規定を束ねるというのは、今日させて頂いた個別・一般という規範形式のお話しとは別の観点から、また検討しなければならないお話だろうと思います。

○中山会長 ほかに何か。
 はい、どうぞ、苗村委員。

○苗村委員 今の質問の延長で、同じ表をもとにお二人に質問したいんですが、この表の4ページ、5ページのところで、○のあるところの中に主な要件の中には補償金というのが書いてあるところがあります。この表に含まれてないものでも、隣接権の制限の中では報酬請求権というのもあったりするわけですが、そのように完全に無料ではないけれども、権利制限の対象になっているような場合について、もしも一般性のある規定を設けるとしたとき、その有償での利用というのをどうするのか、前回での議論で私が理解したのは、もちろん結論ではないにしましても、フェアユースに近い規定を新たに設けるとすると、その中に有償という概念は含められないのではないか、こういうお話もあったんですが、さてこの個別規定と一般規定の比較をするときに、そういう有償での利用、しかしながらその都度許諾を得なくてもよいという、そういう使い方というのはどういうふうに取り込まれることが可能なのか、ちょっとこれは参考人のお二人の方からぜひお答えをいただきたいと思います。

○島並参考人 すぐには考えがまとまらないのですが、規範内容を所与のものとした場合に、その形式が個別であるべきか一般であるべきかという問題と、規範の内容として「利用した以上はお金を払いなさい」ということは、次元が異なる問題で、別途考えるべき問題だろうと思います。すなわち、一般規定か個別規定かという検討から、その内容についての補償金を支払うべきかどうかに関する結論が直接導かれるわけではないんだろうと私は考えております。
 その上で、補償金の規定を入れるかどうかだけを取り出して、今日の私の報告とは離れてちょっと考えてみますと、前回までの議論では、一般規定・フェアユース規定を置いたとしても、補償金制度を盛り込むのは難しいだろうという議論だったわけでしょうか。そうであるとしますと、ちょっとにわかには私は理解できないんですけれども。例えば、事業上、平らに言うと金もうけのために著作物を利用している場合に、利用をしては良いが利用する以上はその利益の一部を権利者に還流させなさいということが一般規定において規定されても、特段背理ではないと思います。むしろ何か不都合があるのであれば、教えていただければ幸いです。

○中山会長 条文の書き方が極めて難しいでしょうね、一般規定で補償金というのは。どういう条文を書いたらいいでしょうか。

○島並参考人 あくまでも規定振りという立法技術上の問題ということですか。

○中山会長 条文に書けなければ、立法はできません。確かに理屈としてはそのような制度があってもおかしくないかもしれないけれども、アメリカのフェアユースもそうだと思うんですけれども、フェアユースであるけれども、お金を払えという、そういう規定は、実際問題としては難しいのではないかというのが前回の話なのですけれども。

○島並参考人 規定振りだけでなく、内容としても、裁判官の裁量にゆだねるのは補償金制度とはなじまないということでしょうか。

○中山会長 これはこの問題に限らず特許の強制実施権も、あるいは公取の取引拒絶の場合に具体的な契約内容まで決めることができるか、という問題も同じなんですけれども、裁判官が取引に介入してこういう条件で対価は幾らにしなさいということまでやらせるべきかどうかという問題です。これは著作権に限らない大きな問題で、まずそれを解決しないと、なかなか難しいのではないかという気がしますけれども。

○島並参考人 実際のフィージビリティ(実現可能性)の問題と同時に、補償金制度については、財の保護をプロパティルール(所有権的構成)でいくのか、ライアビリティルール(不法行為的構成)でいくのかという理論的な問題も背景にございます。これを説明し始めるとまた長くなるので、私からは以上です。○奥邨参考人 先ほどの報告に基づいて、私から申し上げられますのは、私のほうの資料の22枚目でございますけれども、アメリカでも、現行のフェアユース規定を基に、一種の強制ライセンスのようなことを裁判所が命じることができるか云々というようなことが議論になって、裁判所としてもいろいろな立場があるようです、ということになろうかと思います。ただ、私個人的には、全く補償について何も書いていない日本版フェアユース規定を前提に、裁判所が踏み込んで、こういう場合は補償しなさいというようなことを判断するというのは難しいということになるかと思っております。やるとなれば、フェアユース規定の中に、こういう場合は補償しなさいということを書くべきだと思うのですが、そうなりますと個別具体的なライセンス料の決め方まで書き込んでいかないといけないということになってしまいます。したがって、補償の問題は、一般規定というよりは個別規定マターになるのではないかと個人的には思っております。

○中山会長 恐らく補償金の1件、1件は額が少ないので、補償金制度をうまく動かすためには大量処理とか、そういう何か機関が関与してとか、そういうことが必要になってくるので、やはりフェアユース規定ではなく、個別の立法で解決すべきではないでしょうか。裁判で解決するというのは余り現実的ではないような気がするんですけれども、大渕委員、何か。

○大渕委員 私がさっき思いましたのは、島並参考人が多分おっしゃりたいのはこういう趣旨かなということでありまして、要するに今、言及があった米国のように、侵害は肯定しつつも差止めは裁量的に否定して損害賠償だけ一定の範囲だけ認めれば、お金だけ払わせるという状態になるので、先ほど島並さんが一生懸命考えておられたのは、このような形で、実質的には補償金なものを認めるというご趣旨かなと思っていましたが、仮にこのようなことが可能であるとしても、先ほど出ていた補償金というのとはやはり違うと思います。

○中山会長 ほかにございましたら。

○大渕委員 先ほどあった新たな権利制限事項についてのものかどうかという点についてお伺いしたいと思います。大一般規定の対象として、例えば写りこみというのはどうなるのでしょうか。写り込みというものは、今の権利制限規定にはないですが、非常に古典的な論点といえると思いますが、これはどちらに入るのでしょうか。「新たな」という意味については先ほどお聞きしたかったところなんですが、その点も含めてお伺いできればと思います。

○島並参考人 写り込みにつきましては、既に問題状況は共有されているわけですから、適用射程が無制約な大一般条項でなくて、適用射程をそれに絞った特別の規定を置くべきであろうと考えます。しかし、その特別の規定の形式が、個別規定であるのか一般規定であるのかというのは、またその先の問題だろうというふうに考えております。

○大渕委員 「新たな」というのが今までなかったものなのか、それとも、あるけれども、立法してないものかということで言うと、既にあって問題意識が共有されているものについては、個別規定でいくべきであって、大一般規定では拾うべきではないというご趣旨だということですか。

○島並参考人 そのとおりです。

○中山会長 ほかに何かございますか。
 どうぞ、大谷委員。

○大谷委員 ありがとうございます。
 ちょっと質問の意図をうまく整理できていないと思いますが、島並先生にお伺いします。説明資料の2ページの部分に規範の決定時期について、コストの高さと低さについて分析をされた部分がございますが、この一般規定の論理というか、フェアユース規定の導入に当たっては、コストの高低もさることながら、そのコストを引き受ける当事者にとって、引き受ける気になるコストというものを見極める必要があると思います。もちろん単純に低ければコストを引き受けて、リスクテイクをして新しいビジネスに入っていこうというインセンティブにつながっていくと思われるんですが、だれがそれを負担するのかという観点からの議論も必要ではないかと思います。規範を決定する国と行動主体としての国民のコストという2つ認識されていますが、社会的に見るともう少し様々なステークホルダーがコストの担い手となるということも考えられると思うのですが、そのあたりはどのように分析されていらっしゃるのでしょうか。また、何か閾値というんでしょうか、ここまでコストを限定的なものにすれば一般規定を設けることによって、新しいことにチャレンジする人たちのインセンティブをかき立てることができるというような閾値がここら辺にあるんだろうというようなものがあるのかどうか。
 いただいた資料の3ページの中の小一般規定の例として、デジタルコンテンツはと書かれています。これがある程度一般的なものをできるだけリスクテイクというか、コストを小さくするために範囲を限定した例の1つだと思うんですが、このデジタルコンテンツに限定してしまいますと、アナログとデジタルを行ったり来たりするという、今コンテンツの作り方の過渡期というか、その時期のものをうまく拾い上げていくことが難しいと思うので、アナログとデジタルを行ったり来たりしながら、コストも低くしつつ、あるいは関係するステークホルダーでコストを分担するならというようなことが不可能なのか、もしお考えがあれば聞かせていただきたいと思います。

○島並参考人 ちょっと難しいご質問なのですが、レジュメ2ページの(1)に書いた国民(行動主体)といいますのは、規範の名あて人となる、つまり規範に従わなくてはいけない人たちです。今のご質問の趣旨は、規範が適用されるわけでない、非名あて人の行動にも、規範をどう定めるかが影響があるのではないかというご趣旨でしょうか。例えば具体的にはどういう場面で、どういう人々のことを、ほかに考えなければならないのでしょうか。

○大谷委員 例えば、先ほど奥邨先生のプレゼンテーションで、間接侵害の議論があったと思いますが、例えば機器を製造するメーカーの行動への影響も考慮に入れる必要があるかと思います。つまりコンテンツを自ら流通させたり、コピーに関与したりということではなくても、その後ろに広がっている大きなマーケットの中で、例えば放送コンテンツを二次利用しようと思ったときに、昨今7月4日に解禁になりましたダビング10対応機器のように、標準を策定し、その標準を例えば日本の国際競争力を高めるために世界的な標準にしていこうという動きをしている団体もあれば、実際に機器を製造しているメーカーもありというような、そういうマーケットを担っている様々なステークホルダーに広げて考えるということがこの先生の考えている枠組みの中にうまく入ってきているのか、それともそれはもっと別に考えなきゃいけないのかといったところ、そこを教えていただきたいと思います。

○島並参考人 現状ですと、今おっしゃっていただいた中では後者、すなわち別建てで取り込んでいかなくてはいけないだろうと思います。
 
 例えば、今ご指摘いただいたお話を拡張しますと、ある主体に対して規範が適用されて、その主体による著作物の利用が是か非かということが決定されるわけですが、確かにその決定された結論の影響を受ける人は背後にたくさんいて、例えば障害者対応規定が典型的ですけれども、教科書出版社が障害者向け教科書をつくれることによって、障害者の人たちが著作物にアクセスできるということですから、確かに規範名宛人以外の人々の利益状況を取り込んで、検討しなくてはいけないというのはご指摘のとおりだと思います。すみません、今のところはここまでのお答えです。

○中山会長 どうぞ、加藤委員。

○加藤委員 島並参考人にまず質問ですけれども、大一般規定と小一般規定の関係がまだ十分具体的に理解できないんですけれども、もし小一般規定のような形で今後ある権利制限規定を抽象化といいますか、一般的に規定していくことがどんどん進んでいく場合に、大一般規定がその他だけれども、一般規定としてフェアユースが認められるという場合ですが、それをどういう具体的な文言で書けるのかというイメージをまず教えていただきたいということです。もし小一般規定をどんどん追加していくのであれば、それらを包含しない、その他前後に当たらない一般的な構成ということを先生はおっしゃられていたと思うんですけれども、そうだとするとそれをどういう書き振りで書くかというのがまだ少し理解できないということです。
 それから、奥邨参考人のご指摘の中で一番最後のほうのページ、例えば25ページで二次的侵害責任の論点を指摘されています。これは実際社会においては、ユーザーとか、こういう一次的侵害をする人が大多数になるという例がこれからますます増えると思うんですけれども、この場合のフェアユースとの関係で本当にご指摘のとおり重要になってくると思うんですね。
 ここでご指摘の点は、例えば寄与過失のような考えとか、このカラオケ法理の議論とかを十分見ないと、フェアユースの議論をここでしても意味がないということなのか、フェアユースの規定の検討自体が、それはそれで非常に重要なことであって、この二次的侵害の話はさらに別の形で議論しようとおっしゃっているのか、その点もう少しご説明いただければと思います。
 以上です。

○島並参考人 それでは、私からですけれども、まず大一般規定、小一般規定という言葉は論者によって使われ方が多分いろいろありますので、以下はあくまで私の用語法です。私のイメージしておりますのは、適法引用のように適用の射程を限定している一般規定を小一般規定、民法上の権利濫用規定や公序良俗規定のように幅広く適用されるのが大一般規定であります。
 ただし、大一般規定と小一般規定は、ある基準でくっきりと分かれるという問題ではありませんで、一般規定の適用射程の広さはグラデーションをもった相対的な程度問題であると思います。権利制限の一般規定であれば、既に射程が権利制限に限られておりますので、その意味では大一般規定といったところで民法の権利濫用に比べれば射程はもちろん狭くなるわけですけれども、その中で相対的に場面が限られているのか、より幅広いのかということを問題としているわけであります。
 さて、具体的に、大一般規定が既存の権利制限規定に影響が及ばないような書き方があるのかというご質問ですけれども、確かにご指摘のとおり難しいと思います。条文上は「その他」とだけただ書いておいて、例えば立法理由等で、「ここで言う『その他』というのは、既に規定した事項について、その要件を改めるという趣旨ではなくて、規定していない事項を指しているのだ」といった説明をしっかりとしておくのも一つの方法かなと思います。具体的に、ほかにどういう規定例があるのかを調べてみたいところです。

○中山会長 奥邨先生。

○奥邨参考人 言葉が足らず申し訳ありません。私が申し上げましたのは、あくまでまずフェアユースありきということを前提としたときの話であります。さきのご報告では二次的侵害しか挙げておりませんけれども、例えば24枚目にはDMCAの迂回禁止措置の話も挙げておりますし、それから、もっとビジネス保護、業法的なものがあるかもしれませんが、とにかくいろいろな形のパターンがあると思うわけです。つまり、個別の行為がフェアユースになった後、さらに、トータルの問題状況の中で、どう対処していくかということになるわけです。したがって、例えば二次的侵害についても、必ず否定しなきゃいけないということではないですし、逆に肯定しなきゃいけないということでもないですし、どのように対処したほうが、より全体にとって良いのかということを個別に議論すれば良いのではないかと思っております。ただ、最初に、個々の利用形態がフェアユースにもならないということになると、もはや何の議論も始まらないので、まずはフェアユースありきというか、フェアユースがあって、その上で、トータルの問題状況にうまく適合できているかという議論を必要に応じてすればいいんじゃないかという、二段構え、三段構えのことを考えておるわけでございます。

○中山会長 ほかに何かありましたら。

○島並参考人 今の奥邨先生のお答えを私なりに補充させて頂きますと、ご案内の通り、特許法の間接侵害において独立説、従属説という見解の対立がございまして、判例・学説上は両者の折衷説が有力です。同じ話は著作権の権利制限にもあてはまるはずでありまして、フェアユース規定によって直接の行為者の行為が適法とされる趣旨にさかのぼって、間接行為者(寄与者)についても連帯して違法性が阻却されるのか、それともあくまでも直接行為者限りで個別的に責任が阻却されるのかという問題を、ひとつひとつ考えていくべきだと思います。もちろん、これはフェアユース規定による権利制限に限らず、既存の特定的な権利制限条項それぞれについても同じことが言えるのだと私は考えております。

○中山会長 大渕委員、どうぞ。

○大渕委員 奥邨参考人に、少し今までの話と論点が違うんですが、一般規定と個別規定の立法との関係という、今後重要になってくるであろう問題に関してお伺いしたいと思います。立法にはいろいろなパターンの立法があり得るかと思われますが、判例をオーバーライドせずに整理するという立法、フェアユースの107条自体そういう性質のものであると言われているかと思いますが、そういうものを主にご紹介されていましたが、それ以外のパターンの立法についてはいかがでしょうか。立法といっても判例法の明確化にとどまっているものが多いのでそのようなご紹介となっているという理解でよろしいでしょうか。

○奥邨参考人 多分にそういうところが一つございます。
 それから、フェアユース関連の議論ではありませんけれども、例えばMAI v. Peak事件のような形で、権利制限規定の適用限界が議論になったときに、それをひっくり返すような立法例が存在するということも、事実でございます。今日挙げました事例は、フェアユースの関連の裁判例として取り上げたものとの関連で注目しただけでして、これに尽きるということではありませんので、若干ご紹介の仕方が難しいなと思った次第で、そのため、今回挙げた「裁判例のその後」ということでご紹介した形になっております。したがいまして、少し言葉足らずの点があれば申し訳ございません。今、大渕先生からご指摘があったように、いろいろなパターンは当然あるわけでございます。

○中山会長 島並教授にお伺いしたいんですけれども、ご趣旨は個別条項をフェアユースの一般規定でオーバーライド、あるいは広げてはいけないというご趣旨だったわけですけれども、その理由がよくわからないんですけれども。例えば既存のものでも図書館に●が載っていますけれども、既存の図書館はアレクサンドリア以来ずっと変わっていなかったけれども、デジタル化で極めて大きな変化をしているわけですね。想像もつかなかったようなことがいっぱい起きていると。あるいは障害者関係も、障害者が著作物を利用するのに利便性のいい機器等がどんどんできている、従来考えられなかった状況が出現しております。そういうものは一々個別で立法せよというお話になるわけです。そうすると、フェアユースで救ってはいけない理由はどこにあるんでしょう。

○島並参考人 それは、ひとくちに一般規定と言っても、その要件の在り方は権利制限事項によって様々であり得るからです。多様な権利制限事項を一気通貫した一般規定は、さすがにきめが粗すぎるのではないかということです。レジュメ3ページの最後に書いております消極説の論拠に応接するためには、できるだけ不特定性・不安定性を除去すべきなのではないか、そしてまたそのような対応が可能であれば、逆にそれを避ける理由もないだろうと考えます。たとえば図書館でもし新たな著作物の利用態様がどんどん広がり、それらを適法と扱って欲しいということであれば、既存の31条の規定の中に一般的な要件を入れるということは可能であるし、またそれが将来的な図書館ならではの事案解決ルールの構築に役立つのではないかということです。

○中山会長 そうなると恐らくデジタル化時代においては、制限規定の多くは一般規定化されなければならなくなるように思えますが。

○島並参考人 特定の規定に落とし込めるものは、どんどんそれを実行していくと。

○中山会長 そういう趣旨ですか。

○島並参考人 はい。ただしそうだとしても、中山先生がよくフェアユース導入の理由として出されておられますような、ベンチャーによるこれまで考えもつかなかった著作物の利用について、(規範内容の問題として)政策的に救わなくちゃいけないということであれば、それを救うための大一般条項は必要だろうと思います。個別的な小一般規定では救えないのですから。

○中山会長 ただ、図書館でデジタルを使った新しい利用の仕方、あるいは障害者にデジタルを使った新しい著作物の利用の仕方とベンチャーでの利用の仕方というのはそんなに区別がつきますか。

○島並参考人 実質的に違わない、と。

○中山会長 つまりベンチャーが障害者のために何か新しいデジタル機器を作るとか、いろいろなことがあり得るわけで、現実的には分けられないのではないか、あるいはなぜオーバーライドしてはいけないのかと。オーバーライドというと言葉は悪いですけれども、なぜ既存のものに少しでもフェアユースで付け加えてはいけないのかということなんですけれども。

○島並参考人 それをなぜ大一般条項で救ってはいけないのか、ということですね。

○中山会長 アメリカなどはまさにそうですよね。個別規定はあるけれども、フェアユースはそれにこだわらない。

○島並参考人 そこは米国法について運用も含めた詳細を見てみないとわからないんですけれども、米国法には非常に細かい個別規定がございますね。例えば、著作物が放送される店舗の面積にまで言及して権利制限の有無が規定されている場合に、その要件に合致しないものを本当にフェアユース規定で救い得るのか、そこまで細かい政策決定をしているのに改めて裁判官がなお権利を制限して利用を救うということが本当にあり得るのかというのは、少し私には疑問があります。それが1点。
 もう一つは、ベルヌ条約への適合性をどこかで説明しなくてはいけない。この点については余り気にしなくて良いという先生のお考えを別途伺っているところですけれども、少なくとも対外的にはきちっと説明できるという状況をつくらなくてはいけないと思います。だとすると、ベルヌ条約上の「特別な場合」という制約については、既にかなりたくさんの特定的な権利制限規定がある状況下で、その残りのわずかな部分について、首の皮一枚フェアユース規定に入れるんですよ、という説明で何とか凌ぐしかない。既存の規定事項についてもどんどん権利制限ありうべしということであれば、なかなかこの条約適合性をうまく説明することは難しいのかなと。

○中山会長 でも、沈没する時はアメリカと一緒ですから、そんなに問題ないように思うんですけれども。

○島並参考人 身もふたもないことを言ってしまえば、それはおっしゃるとおりですが・・・。

○中山会長 どうぞ、宮川委員。

○宮川委員 島並先生のご説明のおかげで、今までの議論の中で簡単に使っていた一般規定と個別規定というものの違いがとても具体的にクリアになったと思いました。ありがとうございました。
 先ほど、中山会長や大渕委員からこの小一般規定、大一般規定についていろいろ質問をしていただいて、どういうものかというのをはっきりさせようとしていただいたわけですが、私はまだこの小一般規定と大一般規定についてはよくわかっておりません。具体的に、先生の資料の3ページ目、三の1.で、「すでに法定された権利制限事項について:各事項ごとの小一般規定を設けるか?」という問いかけがありまして、(1)で一般規定が望ましい事項が挙げられております。たくさんあるので、一々申し上げると混乱してしまいますので、例えば丸2にある30条とか32条というものを見ますと、「各事項ごとの小一般規定」というのは、30条にさらに何か一般的な要件を附加して、ここに書いてあるものその他個人的な私的な使用のための複製は認めるとか、あるいは引用についてもかなり32条は一般的に書いてあるとは思いますが、さらにこれを一般条項に膨らませて規定をするという、そういう示唆をいただいているのかどうか、伺いたいと思います。

○島並参考人 わかりにくい説明で申しわけございませんが、レジュメ3ページの中ほど少し下にアスタリスクがございまして、著作権法上は既に一般性の高い要件(規範的要件)が少なからずあると私も認識しております。そして、またご指摘いただいたとおり、30条と32条、特に32条はその典型例だと思います。そうしたものについては、今の規定で一般化の程度として妥当であるのかどうかを、さらにその先の検討としてやらなくてはいけない。十分であるかもしれないし、もっと一般化したほうがいい場合もあるでしょう。今日は既存の各権利制限規定について、おおざっぱに一般規定と個別規定のどちらが望ましいのかについて見てきましたが、仮に一般規定が望ましいとしても、その一般化の程度が現状で良いかどうかは、さらに今後の課題として残っております。

○中山会長 どうぞ、上野委員。

○上野委員 島並先生に2点お伺いしたいと思います。1点目は小一般規定についてでございます。
 現行法の規定にも一般性の高い規定が少なからずあるという先生のご指摘はまことにもっともなことだろうと思います。とりわけ引用に関する32条の規定には「正当な範囲」とか「公正な慣行」といった文言が含まれておりますので、これは既に一般性が高いと考えられます。また、試験問題としての複製等に関する36条等の規定のただし書きにあるような「著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない」といったようなものも一般性が高いというご指摘はそのとおりだろうと思います。
 ただ、先生が資料でお書きになっている○と●を拝見しておりますと、38条のところにも○がついているわけですけれども、これは先ほどのような規定とは別の観点で一般性の高い要件だとおっしゃっているように思われるのですが、いかがでしょうか。と申しますのも、38条には先ほどのようなただし書きや「正当」といった文言はないように思いますので、その点についてお伺いできればと思います。
 ただ、このことは細かい話でありまして、既に一般性の高い規範が存在したというご指摘についてはおっしゃる通りかと思います。現行法上の権利制限規定は個別規定ばかりですので、いわばルール型の規範しかなかったように思われてきたのかもしれませんけれども、島並先生ご指摘の個別規定中の一般性にとどまらず、既にいくつかの裁判例等によって、例えば権利制限規定の拡大解釈であるとか類推適用であるとか、あるいは権利濫用であるとか、黙示的承諾であるとか、言ってみたら「不文の権利制限」みたいなことが解釈上なされてきたわけでありますから、その意味では、従来の解釈論においては既に、今日の分類でまいりますと一般規定型ないしスタンダード型の判断――すなわち判断主体は裁判所であり、判断時期も事後的である――というようなことは、事実上なされてきたのではないかと思うからであります。その意味では、先生のおっしゃる「一般規定」というものと「一般条項」とは一致しないのかも知れませんが、問題となるのは、その上で「個別規定」と「一般規定」の振り分けがうまくいっているかどうかという点と、いわゆる大一般規定が必要かという点であるということであるというご指摘は大変参考になった次第でございます。
 そこで、第2番目といたしまして、大一般規定についてお伺いしたいと思います。
 これに関して先生は2点ご指摘になられました。すなわち、大一般規定を設けたとしても、それが既存の権利制限規定をオーバーライドするものであってはいけないということと、問題状況が顕在化したら速やかに立法的措置をとるべきだということの2点であります。この1点目は、先ほど中山先生からもご指摘があったところでもありますけれども、つまり既に細かい個別規定として書かれていることが、いわゆる大一般規定によってオーバーライドされてしまうと、既にコストをかけて定めたルールが掘り崩されてしまうではないか、こういうご指摘だろうと思います。例えば、31条の図書館複製の規定、あるいは47条の3の規定がもっと典型的だろうと思います。すなわち、47条の3は携帯電話等の保守・修理等のための一時的複製について定めた規定で、第1項では「保守又は修理」と規定されておりますが、ここではあくまで「保守」「修理」というものを明示的に書いておりますので、例えば機種変更の際の一時的複製には適用されないという解釈が立法趣旨としても明示されているわけです。ですので、仮に今後、大一般規定ができたからといって、そういうわざわざ明確に定めた個別規定がオーバーライドされてしまってはよくないというのは、確かにわかります。
 ただ、ここでいう「書かれている」か、それとも「書かれていない」かという、この区別はなかなか難しいのではないかと思います。例えば、いわゆる「写り込み」の問題というのは「書かれていない」ものになるかと思うんですけれども、他方で、例えば、試験問題としての複製等を定めた36条という規定は、従来の裁判例等によると秘密性が必要とされており、例えば赤本のような入試過去問集をつくるということになりますと、これは秘密性がありませんので、36条の規定は適用されないと解釈されております。しかし、もし大一般規定ができたら、一定の場合にはそういうものにこれを適用してもいいような気がするわけです。しかし、試験問題に関しては既に36条という規定が存在する、つまり「書かれている」以上、オーバーライドになってしまうから大一般規定を適用すべきでないということになるのかもしれません。しかし、別の考え方としては、既存の36条というのは試験会場でやっている秘密性のある試験だけを対象にしているのであって、入試過去問集については「書かれていない」、つまり規定がないという解釈もあり得るのかもしれません。
 そうしますと、先ほど中山先生がご指摘になられた新しい図書館なども、確かに伝統的な図書館についてはすでに「書かれている」わけですけれども、新しい図書館については「書かれていない」と解釈すれば、それについて大一般規定を適用してもいいということになりはしないかと思うわけですけれども、このあたりについてお考えをお聞きできればと思います。

○島並参考人 1つ目のご質問は38条ですが、これはおっしゃるとおりちょっと議論が分かれるところかもしれません。ただ、私の考えから言うと、営利性は、一定程度の幅のある概念なんだろうなと。例えば、企業がメセナとして行うのはどうかとか、幾らでも限界事例はあるわけで、その中で会社法などとは別に著作権法上の営利性をどのように画していくかについては、裁判所が判断しているのだろうと思います。その意味で、一定程度の一般性が高い要件があるグループに私は入れておきましたが、異論はもちろんあり得るものかと思います。
 それから、もう一つのご質問は、既に書かれているか、書かれないかの仕分けの問題です。それを分けるのは結局、事項としてその問題をすべて扱う意図があったかという立法趣旨でしょうね。例えば、保守・修理のための複製という規定は、立法段階から、単なる機種変更のための複製を含まないということを意図した立法だとすれば、機種変更については既に(消極的に)書かれているわけで、それを覆す権利制限を大一般条項で行うのは望ましくないわけです。他方、図書館での新たな利用態様について、31条は念頭に置いていなかったという点は、ご指摘のとおりです。そこは個別に線引きをしなければならないですね。そして、その線引きが非常に難しい問題というのはご指摘のとおりであろうと思います。

○中山会長 どうぞ、北山委員。

○北山委員 島並先生にちょっとお聞きしたいんですが、従来皆さんが質問されている事項とちょっと重複するんですけれども、先生の説明では一応クエスチョンマークがついているんですが、理解としてはこういうことでいいでしょうか。先生のお考えでは、権利制限規定で個別規定が現存のままでいいもの、それから現存のものをさらに抽象化しなきゃいけないもの、それから大一般規定と、この三段構えでいくんだということでよろしゅうございましょうか。もしそういうことだとすると、個別規定と小さな一般規定の二段構えでいくのに比して、その三段構えのほうがよりメリットがあるというところはどこにあるのかということだけ教えていただきたいんです。

○島並参考人 先ほどの中山先生のご質問と同じ観点ですね。
 それは一般規定の定め方にも様々なものがあり得るので、そうだとすると適用射程は限定した上で一般化した方が、少しでも安定的な運用が可能になるという程度の理由でございます。すべてを大一般条項に投げてしまうことについては懸念も実際に示されている以上、大一般条項を置くとしてもその適用射程はなるべく狭めたほうが、より多くの人が納得するのではないかということであります。

○北山委員 すべてを一般規定に投げてしまうおそれがあるというところは、私も結論においては考えは同じなんです。
 と言いますのは、一般規定を置いた場合には個別的な権利制限規定をめぐる紛争から、一般規定をめぐる紛争になっちゃう可能性があると思うんです。現に現在の離婚訴訟を見ると、770条で不貞行為とか具体的な規定があって、最後に「その他婚姻を継続しがたい重大な事由があるとき」というのがあるんですけれども、そのときにただ不貞な行為だけでやればいけるのに、実際の訴訟は婚姻を継続しがたい重大な事由で、何でもいろいろいっぱい主張してくるわけです。だから、審理が非常に冗漫になっちゃう、散漫になっちゃう傾向があるんですね。
 そういうことから見て、その一般規定を置いた場合に、フェアユース規定を置いた場合に、そういう方向に流れてしまう危険性は僕はあると思うんですね。前から僕はそれを言っているんですけれども、それは注意しなきゃいけないというふうに僕は思っているんですが、先生の今のお考えで一番わからないのは、権利制限規定の今ある中で、例えば公正な慣行とか正当な範囲とかという抽象度のある程度高い規定も現にあることは私もそのとおりだと思うんですが、そういう規定をさらに一般抽象化して、小さな一般規定にしなきゃいけないんだというところが僕はよくわからない。

○島並参考人 例えば、今の引用について述べれば、すでに様々な要件が規定されています。報道目的等に照らして、などですね。それによって一定の外延が画されているものについて、その中でさらに一般規定化して少し柔軟性を高めるというのと、全くオープンなフェアユース規定を置いて全てそちらで処理するというのでは、相当程度、変わってくるだろう。引用については、事案ごとのバリエーションが大きいので、一般規定による柔軟な解決が望ましいとしても、それには限度があり、「この要件の下だけですよ」とか「こういう要素・観点を考慮するのですよ」ということを予め明示してあげることには、それなりの意義があるのではないかという考えであります。またそのような要件や考慮要素が、他の権利制限事項にはあてはまらない、引用に固有の問題だとするならば、適用射程に限定のない大一般規定にそれを規定するのではなく、やはり32条の適法引用規定を改定することで対応すべきだと思われます。

○北山委員 どうもありがとうございました。

○中山会長 大渕委員。

○大渕委員 私もこの個別規定を一定程度包括化するという方向性自体はあり得る方向性かなという気がします。ただここで挙げておられるのが30条のように既に抽象度が高いものが挙がっているから、見ていてよくわかりにくいというだけではないなと。それで、最後のところは先ほどの個別規定の明確性等とのバランスということになってくるかと思うので、それは中間があってもおかしくないなという気がして、だから多分それをおっしゃりたい趣旨かなと思います。ただ、挙げておられる例との関係でわかりにくい面があるだけで、その方向性自体は理解できるところがあるかなという気がいたします。

○島並参考人 ご指摘の通り、レジュメ3ページの一般規定が望ましい事項には、現状で足りるものと、さらに一般化することが望ましいものがあります。その仕分けや、さらに一般化すべきものについてどの程度一般化すればよいのかは、先ほどの宮川先生からのご質問にお答えしたとおり、今後の検討事項です。

○中山会長 ほかに何かございましたら。
 どうぞ、上山委員。

○上山委員 島並参考人にお聞きしたいと思います。
 資料の1ページに、個別規定・一般規定の両者の違いの判断要素として決定主体と決定時期の2点が挙げられていますけれども、もう一つ別の要素も考えられないでしょうか。規律対象の変化の早さや多様性、それから立法の難しさ、例えば著作権法であれば、いわゆる政策的な法ではなくて、多数の利害関係者の調整が重要で、そのため立法がなかなか容易でないといった特徴があるわけですけれども、こういった規律対象に関しては、抽象的な規定、一般規定的な立法スタイルが望ましいといったふうな考え方もあるかなと思うんですが、その点いかがでしょうか。

○島並参考人 おっしゃるとおりでして、技術的な変化はどこかで取り込まなくてはいけない問題だと思います。ただし私としては、その問題は、レジュメの2ページに書かれております規範の決定時期に関して、事前か事後かの選択問題に解消されてしまうのではないかなと考えております。つまり、技術変化への対応の必要性は、国家にとっての規範決定コストに関する考慮要素の一つだと位置付けているわけであります。
 それから、もう一つご指摘を頂いたのが、多数の関係人の利害を調整しなくてはいけない問題ですね。これも同じように、レジュメ2ページの規範決定の正統性担保における、「政策的問題を一裁判官が判断していいのか」という問題の一内容であると私は考えております。

○中山会長 ほかに何かございましたら。
 どうぞ、苗村委員。

○苗村委員 続けて島並先生に資料の3ページについて、ちょっと細かいところの質問をさせていただきたいんですが、3ページの上のほうの既に法定化された権利制限事項について当てはめられたときに、(2)の個別規定が望ましい事項の中に検索エンジンサービスというのが書いております。ご存じのように、この調査会はデジタル・ネット時代における知的財産制度ということについて調査、議論をしているわけですが、そういう目でみたときに、この検索エンジンサービスというのは明確にサービスのイメージなり、その効果なりがはっきりしているわけですが、その延長として単なる検索だけではなくて、より多くの機能を含んだものが考えられる。しかし、それが現在の著作権法の規定上では実効的に不可能になってしまうということがあり得るわけです。これは単に権利者が余りにも多過ぎる、あるいは不明確であるとか、そういった理由ですが、そういったときにこの3ページの下のほうで、大一般規定を設けることに関する消極説の論拠として、小一般規定を設ければ足りると書いておられて、インターネット上においてデジタルコンテンツをある条件のもとで利用することができると書いておられる。これが言うならば、この検索エンジンサービスを延長した小一般規定と何か似ているのではないかという感じがするわけです。
 もうちょっと細かく言いますと、デジタルコンテンツである限り、例えばCDなりDVDの中身であっても、インターネット上に利用することができるというような意味の一般規定ではなくて、インターネット上で既に無料でアクセスができ、自分のパソコンには持ってこられるものを何らかの形で編集して新 しく情報提供する。そういったようなことが一般的なサービスのイメージで、検索サービスはその一部分であるわけです。そういう意味で、むしろこの検索エンジンサービスというのが資料の3ページで言えば1の(1)のほうにむしろ一般規定のほうに展開したほうが望ましい事項というふうに考えたほうが自然に理解しやすいと思うんですが、この点いかがでしょうか。

○島並参考人 これは救いたいのに現行法上救えないという不都合は、苗村先生ご指摘の問題以外にも、様々あり得るんだろうと思います。しかしそれは、私の考えからすると、規範の「内容」の問題でありまして、規範の「形式」の問題ではありません。ある著作物の利用を適法とするかどうかというのは、政策的に、もちろん決定しなくてはいけない。ただし、救うかどうかということを所与のものとした場合に、規範の形式が一般規定と個別規定のどちらが望ましいのかというのが、本日の議論なのです。
 検索エンジンサービスについては、私の限られた知見の中で、こういうものが現在議論されているということを一つの例として挙げたまででありまして、類似のサービスについて、さらに権利制限の範囲を広げなくてはいけないという内容の政策決定がもしなされましたら、それについて一般規定で対応するというのはもちろんあり得る選択肢だろうと思います。少なくとも今行われている検索エンジンサービスについては、事業者の特定の、しかも反復的な行為について権利を制限すれば足りるのですから、個別規定で明確に権利制限しておくことが望ましい、という限りで本日はご報告させて頂きました。

○中山会長 この場の意見の大勢は従来の制限規定は残すと、あるいは検索エンジンとか調査・研究のための複製規定は新たに設けると、その上で一般条項、フェアユースも設けるというのが大勢だと思います。そうすると一般規定が望ましい事項と個別規定が望ましい事項を分ける意味があるかどうか、ちょっとわからないんですけれども、分けるとしても例えば一般規定が望ましいとされているものの冒頭に障害者の規定が入っています。恐らく障害者は少数者であって、国が大きなコストをかけて立法するよりは、個々的な解決のほうが総コストが低いということだと思うんですけれども、しかし考えによっては障害者というのは弱者で、弱者に訴訟負担を強いていいかとか、等の問題もありますよね。ですから、なるべく障害者に対してはきめ細かく個別規定でやってあげたほうがいいだろうという意見もあると思いますし、検索エンジンに関しては恐らく次の通常国会で成立すると思いますけれども、日本では個別規定になりそうですけれども、アメリカではフェアユースで処理されています。余りどっちの事項と、そこを分けられないのではないかという気もするんですけれども、それはどうでしょうか。

○島並参考人 レジュメ2ページに掲げました主体について2つ、時期について2つ、合計4つの観点は、相互に相対立する結論になることもあり得るのだろうと思います。
 たとえば、障害者対応について一般規定が望ましいというのは、正統性担保の観点からはそう言えるということに止まります。これとは別の、情報収集のコストをだれが負うのかという観点から見れば、まさに中山先生から今ご指摘がありましたとおり、障害者には酷な面も出て参ります。そのコストを直接的に負うのは、教科書会社とか、あるいは放送局だろうと思いますけれども、そうだとしても零細な出版社が点字本をつくるに際して、適法性を主張するコストを負えるのかという問題は、確かにご指摘のとおりです。
 そこは、異なる結論を導き得る4つの観点について、どれを最も重視するのかという、さらにまた先の調整が必要なのでありまして、本日のご報告から一刀両断に結論が出るわけでは残念ながらありません。本日は、一般規定導入に際して求められる検討の視点を提供させて頂いたということでございます。

○中山会長 どうぞ、大渕委員。

○大渕委員 純粋理論的という感じもするんですが、先ほどのご報告では、規範の内容が決まった上での形式ということを強調されているんですが、いわゆるルール型であれば、このルールであるということが決まっているんですが、スタンダード型は先ほどおっしゃったように、当てはめてみてアドホックに決まるという面があるので、先に決まっていたらどっちというところを余り強調すると、そもそもそこの議論になりにくい気がするんですが、ちょっとそれは全体を聞いていた受けた印象ですが。

○島並参考人 ご指摘の通り、「決まっていたら」というのはミスリーディングですね。ここは、規範内容が先決問題であるという趣旨ではなくて、結果的に同じ規範内容になるとしても、それを導く規範形式として一般規定と個別規定のどちらが望ましいのかという話です。つまり、仮に裁判官が国会議員と同じ判断に至る場合があったとしても、なお一般規定と個別規定の選択をしなければならないということです。

○中山会長 時間も超過しておりますけれども、何かほかにもしございましたら。
 どうぞ、宮川委員。

○宮川委員 先ほど北山委員がおっしゃったように、すべて何もかも一般規定、あるいはフェアユース規定に投げて、個別規定を軽視するというのは問題であるという意見には私も同感です。ただし、先ほど私が質問したことと関係あるのですが、今ある個別規定をさらに一般的にしていくというのも、裁判をしていく上では非常に使いにくいというのが実感です。
 北山委員がおっしゃるように、離婚の事由が不貞など具体的に何か書いてあって、その他婚姻を継続しがたい重大な事由ということで一般規定があるんですが、不倫があれば離婚はしやすいと、具体的にその要件が満たされれば裁判を進めやすいということがありますので、現在ある著作権法の個別規定、あるいはこれからつくられる個別規定は規範として具体的で明確であってほしいですし、それを補うものとしての一般規定が裁判をしていく上では非常に扱いやすい規定になるのではないかというのが私の考えでございます。

○中山会長 ありがとうございます。
 ほかによろしいでしょうか。
 ありがとうございました。
 大分時間が超過しておりますので、今日はこれで終わりにしたいと思います。これまでの議論を通じまして、フェアユースの規定につきましてはその導入の必要性とか導入に当たっての課題については、大体大方合意ができたものと思います。このため、フェアユース規定についての議論は今日で終わりといたしまして、次回はコンテンツの違法対策について検討することを予定しております。
 それでは、デジタル・ネット時代における知財制度専門調査会の第7回会合は日程を調整した上で、9月にまた開催をする予定でございます。
 本日はご多忙中、誠にありがとうございました。
 これをもって終了といたします。